鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

 良書。でもコロナ禍での考察は中途半端。:読書録「民主主義とは何か?」

・民主主義とは何か?

著者:宇野重規

出版:講談社現代新書(Kindle版)

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「民主主義を信じる」

という立場の作者が、「民主主義」について、歴史的な流れを解説し、「今」を照射する構成の作品。

「歴史上、民主主義は長くネガティブに捉えられており、ポジティブに評価されるようになったのは、この2百年くらい」

とか、ナカナカ興味深い視座を提示してくれる良書です。

 


それだけに「今」について語るとき、「コロナ禍」に関する考察は中途半端になってて、残念。

 


<これは現在進行中であり、予断を許しません。忠、危機が続くことで、安易にリーダーシップに期待するだけでは問題が解決しないことに人々は気づき始めています。ウイルス感染の確実な防止策がまだない以上、今後も試行錯誤を突けるしかありません。独裁的な対応は一時的には有効に見えても、自由で多彩なアイディアの表出や実験を許さない以上、長期間には選択肢を狭める結果になります。より重要なのは、一人ひとりの市民に夜近くいてきな取り組みの強化であり、政府への信頼を高めることで、有効な取り組みを社会的に共有していくことではないでしょうか。>

 


パンデミックに対処する上において最も重要なのは「スピード」と「柔軟性」。

それが明確になっている中で、こういうスタンスは(分かるんだけど)現実的・効果的ではないでしょう。

「独裁的な対応」の方が、「実験」や「試行錯誤」が可能であるというon the wayの現状をどう整理していくか、という点は、「民主主義」の直面する課題であると思います。

 


本書においても「理念」が整理される<古代ギリシア時代>から、実際の政治体系とのせめぎ合いの中から政治に組み込まれていく<ルネッサンス以降の西洋社会>を経て、二つの大戦と全体主義・共産主義との対決を経た<現代>において、「執行権」との関連性が「民主主義」の課題としてクローズアップされています。

 


<ロザンヴァロンは、近代の民主主義を巡る議論が、立法権を中心になったことを問題視しています。たしかに一つの民意を議会が代表し、それを執行権が実現することをもって、民主主義の本質とみなす考え方は有力です。しかしその一方、現実の政治をみれば、重要なのはむしろ執行権です。この執行権を直接的に民主的な統制の下に置かない限り、民主主義は実質化しないとするロザンヴァロンの問題的は重要です。>

 


この「執行権」の課題こそが、今の「コロナ禍」においてクローズアップされているのだと、僕は思います。

そういう視座を与えてくれているだけに、「コロナ対応」に関する考察が如何にも中途半端で残念…というのが僕の感想です。

まあ、元々は歴史中心の作品なんで、ここには突っ込まないつもりだった…ってのがあるからなんでしょうけどね。

 


僕自身のスタンスは、決して民主主義的とは言えない人物であったチャーチルのスタンスに重なります。

 


「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態ということが出来る。これまで試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが」

 


今もまた、新たな政治形態が試みられています。

僕自身はそれらが「民主主義」を超えるものとは思いませんが、「執行権」という観点においては効率的・効果的であることは否めません。

だからこそ、「民主主義における執行権のバージョンアップ」が絶対に必要だと思うんですよね。

(ここら辺に無自覚なのが日本の野党の不味いところ。与党はかなり認識してますからね。だからこその「デジタル改革」です)

 


しかし宇野さん、学術会議の任命を拒否されたんですよね。

全然、政府にとってマイナスの人じゃないと思うけどな〜。

なんか、ここら辺はモヤモヤですw。