鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「時代」からは逃れられない:読書録「知らなきゃよかった」

・知らなきゃよかった 予測不能時代の新・情報術

著者:池上彰、佐藤優

出版:文春新書(Kindle版)

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この二人の対談は何冊もでてて、比較的フォローはしてるんですが、さすがに全部は…。

基本的には「時事放談」なんで、「その時」に出てるものを読めば良いですがね。


本作はトランプ政権成立後、米朝首脳会談によって東アジア情勢が大きく変わりつつあるタイミングを捉えての対談となります。


<プーチンもトランプも、安倍首相も独裁・独断傾向を強めています。これは彼らの権力欲だけでは説明できない。国際情勢が極めて流動的になって変化が激しいから、民主主義的な手続きによる時間のコストに政治が耐えられないんです。

そういう世界に生きているんだ、そして、日本はそのプレイヤーではなくなりつつあるんだ、という自覚が今、本当に必要なことなのだと思います。>


佐藤優氏のこの言葉が基本的な「環境認識」でしょうね。

当然、「金正恩」もこのメンバーの一人。

変化の激しさに「民主主義的な時間のコスト」に耐えられなくなってる…って言うのは「政治」だけじゃなくて「経済」もそうでしょうね。

「経営者」論や「リーダー」論が求められるのも、要はそう言うことではないか、と。

ジョブズも、イーロン・マスクも、ジェフ・ベゾスも、経営者としては相当「独裁的」でしょうw。

でもだからこそ「成し遂げられた」ことがある。


一方でこう言う指摘も佐藤氏はしています。


<今起きていることは何かと言ったら、新自由主義が政治の領域とかあらゆる領域で完成しつつあるということだと思います。一見関係ないようなこと、例えばハリウッドのセクハラ疑惑、日馬富士の殴打事件、電通の過労死……。これらは要するにローカルルールが通用しなくなってきたということなんです。>


たぶんにネットの影響があるといえるんでしょうが、これもまた「然り」かと。

そして「独裁的な組織運営」ってのは、ともすれば組織独特の「ローカル・ルール」を生み出しがち。

そのローカル・ルールが暴かれ、批判されているのが、今の各国での政権批判の構図ともいえるのではないか、と。

トランプも安倍晋三も、かなり独裁的で自分の思うことをドンドン進め、「組織」はそれを後押ししている一方で、社会的ニア「びみょ~」な感じになってるのはここら辺じゃないですかね。

最近はプーチンにもそう言う傾向が見えるようですし。


「時間コスト」が民主主義的な手続きを軽視する方向を進める一方で、「情報」に関してはフラットで民主主義的(ワイドショー的とも)な共有がされて行く。

「今」はそう言う時なのではないか、と。


我々はどうこう言っても「時代」から逃れることはできません。

だからこそ、こう言う「時代」を分析する本を読む意味はあると思いますし、そこから「未来」への「光」と見出すことが重要になってきます。

 

現時点での「光」は、とりあえず「独裁的な政治」によって「物事が動く」ってことでしょうか?評価はいろいろだし、「どうなの?」ってのは見ていく必要がありますが、少なくとも「米朝首脳会談」で当面の朝鮮半島の戦争リスクが後退していることは事実でしょう。

(とすれば次の「独裁的政治」としては安倍政権による北朝鮮および韓国との関係改善=拉致問題・慰安婦問題での決着、でしょう。それができる(国内を独裁的に押さえ、日本側が譲るという意味)かどうかが、安倍政権の独裁度のバロメーターではないか、と思ってます。改憲はあくまで国内問題ですから)


そしてこの「独裁政治」による決定権の行使を、「民主的情報共有」の力によって牽制しつつ、新しい「政治のあり方」を模索していく。

…というのが「今」の我々に課せられた「課題」じゃないかと、僕は思っています。

 

あんまりにも複雑ででかい課題なんで、「AIに丸投げしたい」…って気分がなくもないですがねw。(ここら辺がシリコンバレー的気分かも)