・7つの激変 いかがわしい者たちが主役の「インターネット産業」30年史
著者:川邊健太郎
出版:東洋経済新報社(Kindle版)

川邊健太郎さんの『7つの激変』を読みました。
作品概要
『7つの激変』は、川邊健太郎さんによるインターネット産業30年史。検索、SNS、動画、通販、広告、文化、起業という7つの領域を通じて、インターネットが社会の周縁から中心へ移っていく過程を、当事者の視点から描く。
日本のネット産業が前半戦で持っていた熱気と可能性、そして2007年前後のスマホ・ソーシャル・クラウドの分水嶺以降、GAFAMに引き離されていった構造を振り返りながら、AI時代における次の「更地」をどう見るかを問う一冊。
ポイント
本書は、インターネット産業の30年を7つの「激変」から整理する。
検索は、誰も儲かると思っていなかった情報整理から、広告とAIの基盤になった。SNSは、友人の日常を見るだけのものから、人々の可処分時間とコミュニケーションを支配するインフラになった。動画は、無法地帯のような投稿文化から、YouTuberという新しい職業を生んだ。通販は、割に合わないと思われていたものから、生活インフラになった。広告は、センスと勘の世界から、データと数学の世界へ変わった。
そして日本では、2ちゃんねる、ニコ動、iモード、ガラケー文化など、独自の豊かなネット文化が生まれた一方で、スマホ・ソーシャル・クラウドという世界標準への転換で、GAFAMに大きく後れを取った。
著者は、勝敗を分けたのは「最初に思いついたか」ではなく、市場に定着するまで失敗を超えて改善し続ける力だったと見る。そしてAI時代を前に、次の30年の荒野を誰が耕すのか、という問いを投げかける。
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副題は、
いかがわしい者たちが主役の「インターネット産業」30年史。
著者の川邊健太郎さんは、ヤフー、そしてLINEヤフーのトップを務めた人。まさに日本のインターネット産業のど真ん中を歩いてきた当事者です。
なので、本書は単なる「ネット昔話」ではありません。
あの時代に何が起きていたのか。
なぜ日本のネット企業は、ある時期までは面白い存在感を持っていたのに、やがてGAFAMに大きく引き離されていったのか。
そして、これからのAI時代に、また同じような変化が起きるのではないか。
そういうことを考えさせられる一冊でした。
僕はワープロ世代だった
僕は1988年に社会人になりました。
なので、川邊さんよりは少し年上になります。
学生時代は、パソコンを使っていませんでした。
卒論もワープロで書きました。
今から考えると、「パソコン以前」ではあるんですが、かといって完全に手書きでもない。
ワープロ世代、という感じですかね。
社会人になってから、Windows 95が出たタイミングでパソコンを買ったと思います。
当時は、PC-98にするかDOS/V機にするかで迷いました。
PC-98の方がゲームが多かったんですよねw
ただ、仕事での勧めもあって、たぶんDOS/V機にしたんだと思います。
その頃は、パソコン通信も少しやっていました。
ゲームの進捗を確認したり、攻略方法を調べたり。
あと、チャットのようなことも少しはしていた記憶があります。
ただ、そこまでどっぷりハマったわけではありません。
携帯電話も、わりと早く持った方だと思います。
でも、仕事の付き合いで持たされた面が強くて、実はあまり「携帯」していませんでした。
固定電話の横に置いてあるだけ、みたいな感じです。
iモードにも、僕はそこまではまりませんでした。
このあたりは、本書に出てくる日本のネット産業の熱気とは、少し距離があります。
もちろん、時代の空気としては知っている。
でも、自分自身がその中心にいたわけではない。
あくまで僕は、ネットの「作り手」ではなく、「使い手」だったんだなと、あらためて思いました。
僕にとっての分水嶺はiPhoneだった
僕が本当に携帯電話を持ち歩くようになったのは、iPhoneが出てからです。
初代の登場が2007年、日本に上陸したのは2008年のiPhone 3Gでした。
これは大きかったですね。
iPhone以降、僕は一気にその世界にどっぷりはまっていきます。
いまでもiPhoneを中心に、Apple製品にはかなり寄っています。
まあ、アップル信者に近いところはありますw
新しいガジェットにも興味があります。
スマホゲームはあまりやりませんが、デバイスとしてのスマホ、生活の中心にある端末としてのスマホには、かなり強く惹かれてきました。
そういう意味で、この本は僕にとって、ネット産業の歴史であると同時に、
自分がどうネットと付き合ってきたかを振り返る本
でもありました。
僕はコードを書いてきたわけではない。
ネットビジネスを立ち上げたわけでもない。
起業家でもない。
でも、検索を使い、通販を使い、動画を見て、SNSに触れ、スマホを持ち歩き、AIと遊んでいる。
完全に「消費者」なんだけど、消費者としてはかなりその変化を楽しんできた。
そのことを、ちょっと懐かしく思い出しました。
日本は「垂直統合」だから負けた、ではなかった
本書で面白かったのは、AppleやGoogleが出てきたときに、
なぜ日本のソニーはそこに行けなかったのか
という話です。
日本企業の敗因については、よくこう言われます。
日本企業は垂直統合にこだわりすぎた。
WindowsとIntelの水平分業の時代に対応できなかった。
だから負けたのだ、と。
僕もなんとなく、そういう理解をしていました。
ところが本書を読むと、話はむしろ逆なんですよね。
GoogleやAppleは、インターネット以後の世界で、ソフトウェアを起点にした新しい垂直統合を作り上げた。
検索、広告、OS、ブラウザ、クラウド、デバイス、アプリストア、決済、動画、SNS。
それらをバラバラの事業としてではなく、ユーザー接点とデータとソフトウェア基盤を押さえる形で統合していった。
つまり、古い垂直統合がダメだったのではない。
ソフトウェアを中心にした新しい垂直統合に、日本企業が乗り切れなかった
ということなんでしょう。
これは、僕にはけっこう意外でした。
ソニーがAppleになれなかった理由。
日本のネット企業がGAFAMを追いかけきれなかった理由。
そこには、単にハードが強いとか、サービスが面白いとかではなく、
ソフトウェアの産業構造をどこまで理解していたか
という問題があった。
ここは、本書の中でもかなり読みごたえのある部分でした。
文系起業家とソフトウェア屋の差
川邊さんは、日本のネット起業家の多くが文系・非エンジニアだったことにも触れています。
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
川邊さん自身も法学部出身です。
ただ、Googleのラリー・ペイジやセルゲイ・ブリン、Facebookのマーク・ザッカーバーグは、見た目はふわっとした若者でも、中身は根っからのソフトウェア屋だった。
この差が大きかった、という指摘です。
ソフトウェア屋は、
Winner takes all
収穫逓増
を、経済理論としてではなく、エンジニアリングの感覚として理解している。
一度ソフトウェア基盤を作ってしまえば、ユーザーが増えても追加コストは小さい。
だから、初期に市場を取りに行く。
赤字を掘ってでも投資する。
勝つまで改善し続ける。
この感覚が、日本のネット企業には弱かったのではないか。
ここも、なかなか刺さる話でした。
ただし、これを単純に「文系だからダメだった」と読むのは、少し雑だと思います。
市場規模も違う。
英語圏の強さもある。
資本量も違う。
VC文化も違う。
日本にはガラケーとiモードの成功体験もあった。
でもそれらを含めても、
ソフトウェアを単なる機能ではなく、産業構造そのものとして見ていたかどうか
という差は、確かにあったんだろうなと思います。
勝負は最初に思いついたかではない
本書で印象に残ったのは、
勝負は「誰が最初に思いついたか」でも「誰が最初に作ったか」でもない
という話です。
1995年から97年頃には、検索、動画、EC、決済、広告、SNS的なコミュニティなど、現在のネット産業の原型は、だいたい出そろっていた。
でも、その最初の3年で思いついた人が、その後の勝者になったわけではない。
技術が未熟でも、ユーザー数が伸びなくても、規制の壁があっても、失敗を重ねても、
「これは世界を変える」と信じて、しつこく改善し続けられるかどうか。
そこが勝負を分けた。
これは、いまのAIにもそのままつながる話だと思います。
今のAIも、毎日のように新しいサービスが出てきます。
でも、おそらくその多くは消えていく。
逆に、いまはまだ「しょぼい」と思われているものの中から、次の大きなサービスが出てくるかもしれない。
最初に思いつくことよりも、
作り続けること。
使われるまで粘ること。
市場に定着するまで改善すること。
まあ、これは言うのは簡単ですが、やるのは大変です。
だからこそ、実際にやる人はすごいんですよね。
川邊さんがAIに全振りしているのが面白い
本書を読んでいて、もう一つ面白かったのは、川邊さん自身がいまAIに全振りしていることです。
LINEヤフーの会長まで務めた人が、その立場を離れて、AIと二人で起業しようとして、AIの世界に入っていく。
これはなかなかすごいです。
インターネットが出てきたときに、若者たちが「なんだか分からないけど面白い」と飛び込んでいった。
川邊さんは、AIに対してもう一度それをやろうとしている。
しかも、過去のネット産業の経験をそのまま使おうとしているわけではない。
むしろ、ネットの経験は「きれいさっぱり忘れる」と言って、AIをインターネットの延長ではなく、新しい更地として見ている。
ここが面白いんですよね。
僕は、AIを使って起業することはないと思います。
これから会社を作って、AIで世の中を変えるぞ、という感じではありません。
でも、AIにはかなり期待しています。
何か新しいことが起きるんじゃないか。
自分の生活や趣味や考え方が、また少し変わるんじゃないか。
そういう感覚はあります。
だから、川邊さんがAIにどっぷりはまっていこうとしている姿には、かなり共感しました。
もちろん、立場は全然違います。
川邊さんは作る側に行く。
僕は使う側にいる。
でも、
「これは面白そうだ」
「もう少し触ってみたい」
「何が起きるのか見てみたい」
という気持ちは、たぶん同じ方向を向いているんじゃないかなと思います。
僕は、これからも消費者として楽しむ
この本を読んで、少し寂しく感じたところもあります。
結局、僕はインターネットの作り手ではなかった。
コードを書く側でも、起業する側でも、サービスを作る側でもなかった。
パソコン通信を少し触り、Windows 95でパソコンを買い、iPhoneでスマホにどっぷりはまり、いまAIと遊んでいる。
ずっと、使う側です。
でも、それでいいのかなとも思います。
インターネット産業を作ってきた人たちがいる。
その人たちの熱狂や失敗や成功がある。
その結果として、僕たちは検索し、買い物し、動画を見て、SNSでつながり、AIに相談している。
その変化を、消費者として体験してきたことにも、それなりの面白さはある。
そして、AI時代もたぶん同じです。
僕はAIで起業はしない。
でも、AIを使って文章を書いたり、考えを整理したり、画像を作ったり、日々の生活の中で遊んだりする。
作る側ではなく、使う側として楽しむ。
それはそれで、かなり贅沢な立ち位置なのかもしれません。
ネットの30年史であり、AI時代への前振りでもある
『7つの激変』は、ネットの30年史として読めます。
Yahoo!、楽天、サイバーエージェント、Google、Facebook、Amazon、YouTube、iモード、ニコ動、2ちゃんねる。
いろいろな名前が出てきて、懐かしくもあります。
でも、この本の本当の射程は、過去ではなく未来なんでしょう。
1995年から97年頃に、今のネット産業の原型がほぼ出そろっていた。
2007年前後に、スマホ・ソーシャル・クラウドという分水嶺が来た。
そこで日本企業はGAFAMに大きく引き離された。
では、AIという新しい分水嶺ではどうなるのか。
誰が最初に思いついたかではない。
誰が最初に作ったかでもない。
誰がしつこく耕し続けるのか。
この問いが、本書の最後に残ります。
僕自身は、その荒野を耕す側には行かないと思います。
でも、誰かが耕しているのを見ながら、たまにそこに足を踏み入れて、
「おお、これは面白いな」
と言っているくらいが、自分には合っている気がします。
それは少し受け身なのかもしれません。
でも、ネットもAIも、僕にとってはまず楽しいものです。
作る人がいて、使う人がいる。
僕はたぶん、これからも後者です。
そして、後者としてこの30年を振り返るには、この本はかなり面白い一冊でした。
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