鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

あの「上野千鶴子祝辞」を聞いた東大生たち…と言うのが興味深いw:読書録「東大生、教育格差を学ぶ」

・東大生、教育格差を学ぶ

編著:松岡亮二、高橋史子、中村高康

出版:光文社新書(Kindle版)

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コロナ禍になって、個人的に「格差」の問題は気になるテーマになっています。

ある程度のことは知識としてあると自負していたのですが、現実はもっと厳しいのだと言うことを、ニュース・報道だけではなく、痛感させられることもあって…。

個人のアクションとしてはNPO法人への寄付くらいしかできていないのですが、知識のアップデートは必要だと認識しています。

 


本書は、「教育格差」を教職課程や教員研修で扱うようにすべく、啓蒙活動や取り組みを行っている先生たちが、東大生を対象としたゼミを半年間行った「記録」になります。

上記のような「格差」への個人的な関心もあって手にしたわけですが、もう一つ、

「今の大学のゼミってどんな感じなんだろう?」

と言う興味もありました。

自分のゼミの経験・記憶は、もう40年近く前のもんになってきてますからね。

ちょうど息子が大学に入学したタイミングというのもキッカケになったかもしれません。

 


「教育格差」と括られていますが、作者たちが注視しているのは「社会経済的地位(Socioeconomic status=SES)」による格差。

話題になった上野千鶴子さんの東大入学式での祝辞は、まさにこの点を突いていたのですが、それを聞いた生徒たちがこのゼミの対象にもなっています。

僕としては上野さんの祝辞は、「上野千鶴子」を選んだと言う点では、

「チャレンジングやなぁ」

でしたが(その意図は、その後の盛り上がりから達せられたでしょう)、

内容そのものについては、

「いや、そらそうやろ」

と驚きはなかったです。

「祝辞に相応しくない」

って声もありましたが、これくらいのことは認識してて当然だろう…と。

 


ただまあ、受験を乗り越えたばかりの10代の学生に、

「認識してて当然」

ってのは、大人の傲慢かなw。

本書を読んで、ちょっと反省しました。

と同時に、しっかりと知識レベルではそういった課題認識について来れているし、自分の経験と照らし合わせながら、論理構成を組み上げていく学生たちのレベルの高さにも感心させられました。

いやはや真面目ですよ。彼ら。

予習復習に加えて議論もしっかりやってるし。

Slackを使ったグループ討議の下ならしとか、「自分らの時代とは様変わり」ってのもありますしねぇ。

SNS周りのITツールってのは、こう言うゼミなんかにはマッチしますね。

どこまで使いこなせてるのかは分かんないけど。

 


第1講 東大生と教育格差を考える

第2講 現在に至る軌跡を振り返る

第3講 すべては「頑張った」結果?

第4講 教師にできることを考える

第5講 他者の困難を想像する

第6講 「地元」との距離

第7講 非行少年と向き合う

第8講 格差と向き合う進路指導

第9講 同期生の8割は男性

第10講 多文化社会を生きる

第11講 部活の意義

第12講 いじめと対峙する

第13講 東大生と教育格差を総括する

 


現役教師も論議の中には参加してたりして、

「理屈じゃこう!」

って感じでキレイに「納まらない」ところもいいんじゃないでしょうか。

まあ、「答え」がある話じゃないですから。

講義自体は事前に教科書(「現場で使える教育社会学」)を読んだ上で行われていて、各章の冒頭にその概略は説明されるものの、より深く理解するには教科書の方も読んどいた方がいいんだろうなとは。

まあ僕自身はなかなかそこまで踏み込めませんけどね。

 


読み終えていちばんの驚きは、

「教育格差は教職課程や教員研修で必須となっていない」

ってことですね。

う〜ん、なんか理由がわからないなぁ。

授業料無償化の議論なんかは政策的イシューになってると思うんですが、そのベースはまさに「教育格差」(特にSESによる格差)にあるのに。

…となったところで作者たちの意図は達成られてるんでしょうね。

まんまと乗せられましたw。

 


しかし息子もこんな感じで真面目にやってくんでしょうかね。

気楽〜な学生生活を、40年近く経って反省させられます。

今更、反省しても遅いんだけどさw。

 

 

 

#読書感想文

#東大生教育格差を学ぶ