鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

近所にあったら入り浸ってるかも:読書録「本の読める場所を求めて」

・本の読める場所を求めて

著者:阿久津隆

出版:朝日出版社

f:id:aso4045:20200806132250j:image

 


「本の読める本」<フヅクエ>を経営する作者が、そう言う「場所」を作るに至った<思考的な>経緯と、<フヅクエ>のあり方に関する説明、今後への「夢想」を書き連ねた作品。

そう言う場所があることは知ってたんですが(もっとカフェ寄りの店と思ってましたがw)、bar bossaの林さんの記事にちょっと紹介されてて、読んでみる気になりました。

 


いや、結構面白かったです。

終始、ニヤニヤしながら読んだんですが、作者は(多分)大真面目。

真面目に「本を読む」と言うことを追求し、その果てに「本を読む店」を作り上げてるんですが、側から見ると、

「なんとまあ、こんなとこにまで拘って…」

って感じになるんです。

なるんだけど、「本を読む者」としては、

「そうなんだよなぁ〜」

ともなって、そう言う自分自身に対する「呆れ」も含めての「ニヤニヤ」。

 


その面倒臭さの一旦は<フヅクエ>のHPを読めば…。

 


<フヅクエHP>

https://fuzkue.com/

 

 

 

めんどくせぇ。

でも、いちいち腑に落ちるんですよねぇ。

わざわざ東京まで本を読みにいく気はありません。

ないんだけど、自転車で30分くらいのところにあったら週1くらいのペースで、会社帰りに寄ってるかもw。

そんな気分になりました。

(だから、是非とも作者の「夢想」が実現して欲しいなぁ、と)

 


読みながら、

「僕にとっての最良の<本を読む場所>ってどこかなぁ」

と考えました。

まあ、「今、現在」だと、「家のソファ」or「家のベランダ」かな?

来し方を振り返って…となると、10代後半から20代初め(大学卒業まで)に、「青春18きっぷ」でダラダラ乗ってたJRの列車の中、かも。

 


何冊か本を鞄に突っ込んで、鈍行に乗って、

没入してた本の世界から、ふと目を上げた時、

山の緑の中を、海岸線を、雪の中を、

走る列車の中にいる自分に気づく。

しばし外の景色に目をやって、また本の世界に戻っていく、あの時間。

 


「あの時間」が、今も僕の中では「本との時間」として、確かに残っています。

今じゃあ、あの硬い座席に長時間座ってるのは無理だけどね〜w。

だから今更やろうとは思わない。

思わないけど、ああ言う時間を持てたのは、自分にとっては幸せなことだったな、とね。

 


「読書」自体が「何かの役に立つ」とは僕はあんまり思ってません。

「功罪」だと、「罪」の方が多いくらいw。

 


でも、もう一度、時間を遡ることができたら、やっぱり僕は本を鞄に突っ込んで、鈍行列車に乗るんじゃないかな?

なんともはや、それはある種の中毒ですらあるような…。

 


老眼が進んで、「本を読む」と言うことに集中できなくなりつつある今、その記憶を懐かしく思い出す時があります。

まあ、もうしばらくは本とのお付き合いは、付かず離れず続けていきたいとも思ってますけどね。

 


この夏はあんまり外をフラフラできそうもないから、「本を読む場所」として、ベランダのDIYでもするかな?