・純文学とは何か
著者:小谷野敦
出版:中公新書ラクレ
「青少年のための小説入門」を読んで、
http://aso4045.hatenablog.com/entry/2019/01/03/204440
ふと、「小説を読むってのはどういうことかなぁ」などと思ってしまい。本屋で目について購入。
小谷野敦さんの作品は全然読んでないんですけど。
<内容紹介
「純文学」とは何か?大衆文学、通俗小説というどう違うのか。芥川賞・直木賞とは何か。海外に純文学と大衆文学の区別がないというのは本当か。文藝雑誌に掲載されると純文学というのは本当か。文学の敵とは誰か。日本だけでなく海外文学にも目配りし、豊富な事例をもってこうした疑問に快刀乱麻を断つごとく答える、かつてない文学入門。>
読んでると、なかなか興味深く、面白い。
<日本だけでなく海外文学にも目配りし、豊富な事例をもって>というのはまったくその通りで、まあ学者らしい博覧強記を楽しむことができます。
でもって最後に思うのは、
「で、純文学って何?」w
「純文学」というジャンルというか、線引き・区分があるのは、作者にとっては確かのようです。
ただそれが「何なのか」は、読んでもちょっと分からない。
これはもう、こっちの頭が悪いだけなのかもしれませんが、読み終えても「純文学とは何か」の定義を見出すことはできませんでした。
でもまあ、そういう「もの」はあるんだなぁ、と。
そこら辺、「オリジナル性」みたいなもんと通じるところがあるのかもしれませんが、そう簡単に片付けられるものでもなく、ただ「この作者だから純文学」とか言うんじゃなくて、「作品」ごとに名付けて行くしかなく、名付けられたからといって、「上等」かどうか(何をもって「上等」とするかってのもあるけど)は何とも言えないと言うか…。
次から次に提示される事例を眺めながら、な~んとなく、そんな風に感じたりしました。
個人的には「純文学」ってジャンルに興味はないんですけどねw。
ただ「面白い本」と言うのはある。
この「面白さ」ってのは、「笑って、楽しめる」とか言うのとはチョット違ってて、ある意味「脳のどっかが刺激される」って感じでしょうか。
だから「小説」に限らず、「評論本」や「ビジネス本」なんかにも「面白い」ものはあって、そう言うのを探して読むのが僕の趣味ではあります。
ただそういう「面白い」中にも、読むのに「体力」が必要な作品があります。
「読んだら面白いんだろうな~」と思いつつ、体力がある時じゃないと手を出しかねる、そう言うのに「純文学」と言われる作品が(古典も含めて)多いかな、って気がしてます。
歳取ってきて、視力も弱ってる中、「体力」が落ちてきて、そういう本を読むのを避ける傾向があるってのが、今の僕の状況かなw。
本書も、まあ、「面白い」。
<辻邦生も怪しい例で(中略)普通なら純文学作家とは見なされないだろうが、東大仏文科卒で学習院大教授のフランス文学者で、ただしまともなフランス文学の業績があるわけではないが、またギリシャ彫刻のような顔だちで、そんなところで「得」をして「純文学」扱いされたのだろうと思う。>
オイオイ!w
具体的な事例の中にはこういう「決めつけ」もフンダンに出てきて、実に楽しめます。
作者の中に「純文学」の線引きはあるんでしょうが、だからって、それが「至上のもの」とも思ってないんでしょうね。
終章の「未来の「文学」」なんかは、見通す状況に関しては悲観的ですが、だからって作者自信が悲観してる風でもなく、突き放した印象があって、それはそれで僕は好きです。
ま、正直言って僕は自分が「面白い本」を読めればいいですし、何ならそれが「本」じゃなくなっても一向に構いませんからね。
「未来」のことは「未来」に考えてもらえば、それでいいと言う…w。
ま、楽ばっかりせずに、もうちょい「体力」つかった読書もした方がいいかな、とは思ってますが。