鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

歴史ミステリーは僕も好きです:読書録「マジカル・ヒストリー・ツアー」

・マジカル・ヒストリー・ツアー   ミステリと美術で読む近代

著者:門井慶喜
出版:角川文庫 

マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代 (角川文庫)

マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代 (角川文庫)

 

 

 

この作者の本は何冊か読んだことあるんですが、ファンになるってほどのことではなかったんですよね。でも、この本は面白く読ませてもらいました。

 

歴史ミステリーの傑作である「時の娘」を導入として、
シャーロック・ホームズの「緋色の研究」に近代とミステリーとの関係性を見つけ、
ポーの「アッシャー家の崩壊」からゴシック小説とミステリーとの関係性について論じ、
「荒野のホームズ」でミステリと歴史の関係性を整理し、
「薔薇の名前」に中世にも通じるミステリーの根本原理を見出し、
「わたしの名は赤」に、ある種の歴史ミステリーの到達点を見た上で、
写実から抽象に至る絵画の歴史を踏まえて、主観と客観の関係性をミステリーの文体に発見し、
再びミステリーの出発点である「緋色の研究」をその視点から論じた後、
「時の娘」に再び戻る。

 

大まかに言うとこんな流れですかね。
この中で僕は、「荒野のホームズ」と「わたしの名は赤」は読んでませんが、特に問題なく最後まで興味深く読むことができました。
もちろん全作品を読んでる方が楽しめること間違いないでしょうか。

 

主観と客観の扱いのスタイルから「歴史ミステリー」を持ち上げすぎているのはお愛嬌?

 

<私の目には、彼らは作家によって無意識に「生み出された」動物ではなく、はっきり意識的に「組み立てられた」ロボットに近い存在に見える。悪い意味で言うのではない。ハードボイルドは優れて理工学的な小説としてこの世にあらわれたのだ。>

 

ハードボイルド好きにとっては、この評はちょっと納得しがたいところもありますけどねw。

 

ラストでは、ミステリー作家らしく、作品全体の流れをひっくり返すような「どんでん返し」的なコメントもあります。
客観もまた、主観の上でしか語り様がない以上、ある意味それは仕方がないことだと思います。
これってまぁ、「人間」がそもそも持っている「制約」ですからね。

(「理屈と軟膏はどこにでもつく」とも言いますしw)

 

…てな感じで、観念を楽しむと言う点においては、本作はよくできたエンターテイメントだと思います。
そもそも本格推理が好きな人っていうのは、そういう傾向があるでしょうからね。
推理小説なんて、難しいこと言わずただ楽しめばいいんだよ…と言う向きには向かない作品。
個人的には、後半の展開もちょっと無理矢理すぎないかな、って思わなくもなかったですけどね。
(そういう意味では、僕も「楽しめばいい」寄り?)

 

まぁ、読者を選ぶ作品であることは間違いないと思います。
歴史ミステリー好きで、ロジックを楽しむのが好きな人にとっては上質のエンターテイメントになってるんじゃないでしょうか?