鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

僕にはかなり刺さりました:映画評「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」

「ミッシェル・ヨー」ファンなので、評判のこの作品は当然観るつもり

…だったんですが、まさか「アカデミー賞7部門」獲得するとは!

しかも、主演女優、助演女優、助演男優、監督、脚本…と主要部門を制覇してますからね。

まさに「完勝」。

 


というわけで、慌てて平日のレイトショーを予約。

混むのは嫌なので。

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ただ予約した後、ネットの評判を読むと、

「う〜ん…」

ってのも少なくなかったんですよね。

設定が甘い、長い、飽きる、アクションのレベルが低い、訳わからんetc,etc…

「こりゃ、ちょっとシンドイかもな」

と、やや構えて観に行く気分になりました。

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…が、全くの杞憂。

僕はすごく楽しみましたし、考えさせられ、感動しました。

長い?(上映時間139分)

全然。

短く感じたくらいですw。

 


マルチバースを使い切った作品なので、目まぐるしい展開で、考え始めたら追いつかないのは事実。

設定も甘いっちゃあ、甘い。

「えっと、どういうことだっけ?」

ってトコもありますw。

でもそれを超えて、僕の心には届いてくるものがあります。

 


主人公は僕らの同世代の女性(ミッシェル・ヨー)。

彼女の「気づき」がテーマなのですが、作品の根本にあるのは彼女の娘の「絶望」と「虚無」と「混乱」。

主人公はマルチバースを経験して自分自身を見つめ直し、娘を理解し…しかし「理解」では娘の「混乱」を癒すことはできない。

デジタルネイティブ世代で、いろいろな情報に接し、その中から「自分」のあり方にも折り合いをつけている(彼女には女性のパートナーがいます)娘は、それでも「絶望」と「虚無」を抱え、「混乱」しているのです。

主人公と娘の関係。

目まぐるしく展開する物語の根幹にあるのはそれなのです。

 


僕らの世代が「世界」と向き合うために手に入れた武器を、主人公の夫(キー・ホイ・クァン。最高です)が訴えます。

「親切」(字幕では「優しく」)

こんなところでヴォネガットに巡り合うとは!

 


でも多分、彼らの娘はそれだけじゃ足りないんだろうな。

もっと先に行きたい。

先に行けないことに苛立ち、絶望さえ感じている。

その彼女を、僕らの世代は「行かせてやる」しかない。

彼女の絶望と虚無と混乱は、かつて自分たちも感じたことのあるものだから。(質的にはかなり違うところもあって、「分かるよ」としたり顔で言えるものでもないんだけど)

「行きなさい」

でも…

 


この映画が刺さる理由もよくわかるし、理解されない理由もよくわかります。

アカデミー賞獲ってるし、アメリカじゃ大ヒットらしいけど、「万人向け」じゃあないよね、これは。

それでも僕にはパーソナルな部分ですごく響いてくるものがありました。

よくわかんないとこも結構あるんだけど…w。

 


(向く/向かないでいうと、近年のハリウッドのエンタメ映画で取り上げられている「マルチバース」に馴染みがあるかどうかは大きいかもしれません。

あるいはTikTokの感覚。

じっくりと物語やテーマを追いかけていくのではなく、短い映像を切り替えながら、個々の映像を深めるよりも、その流れの中で物語を<感じて>行く。

そういう「見方」ができるかできないかってのはあるかも…です。

テーマ自体は普遍的なものんだと思うんですけどね)

 

 

 

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