鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「学者たちの楽園」を維持するために必要なもの:読書録「『役に立たない』科学が役に立つ」

・「役に立たない」科学が役に立つ

著者:エイブラハム・フレクスナー、ロベルト・ダイクラーフ  監訳:初田哲男  訳:野中香方子、西村美佐子

出版:東京大学出版会

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アインシュタインをアメリカに招聘したことで有名なプリンストン高等研究所初代所長フレクスナーのエッセイと、それを踏まえた現所長ダイクラーフのエッセイを収めた作品。

「中編」くらいのエッセイですが、なかなか「読ませ」ます。

フォイマンなんかもそうですが、学者さんの文章って、分かりやすくって、それでいて「教養」も感じさせられて、いいんですよね。

単にこっちが「肩書き」に目が眩んでるだけかもしれませんがw。

 


「有用な」実学的な学問だけではなく、その時点では「無用」と思われていた研究が、長い目で見ると、人類社会に多大な貢献を与えていることがある。

そういう研究を進めるためには、「目標」や「実利」、あるいは「思想」のような<箍>を嵌めてはダメで、好奇心の赴くまま、自由に研究させなければならない。

 


両者の基本的認識はここにあります。(ここでいう「学問」は、単に「科学」だけではなく、人文学的な学問も包含しています)

フレクスナーはそれを「学者たちの楽園」と呼びます。

 


しかしながら、フレクスナーとダイクラーフでは、置かれている「時代背景」が違います。

フレクスナーがこのエッセイを書いたのは「1939年」。

ナチスドイツがヨーロッパで力を持ち、ファシズムが勃興する中で、それに対抗するためにアメリカにおいても「実利的な科学」(ぶっちゃけ戦争に役立つもの)への偏重が叫ばれることが多くなっているのに対して、学者たちが好奇心の赴くままに学問できる「自由な環境」の必要性をフレクスナーは説いています。

 


「2017年」のダイクラーフは、基本的にはフレクスナーの見解(自由な学問の重要性)を継承しつつ、社会がそのことを共通認識とするためには何が必要なのか…にまで視点を向けています。

 


フレクスナーの時代。

それはアメリカの勃興期であり、世界の富がアメリカに集中していた時代です。

その時代であれば、「重要性」を訴えることで<予算>を確保することは比較的容易だったでしょう。

「前年よりも増える予算をどう分けるか」

が焦点になり、どのセクションも前年予算が減るわけではないですから。

 


しかし「現代アメリカ」は成熟した社会です。

まあ日本よりはマシでしょうが、それでも「潤沢な予算」があるわけじゃない。

「どこかの予算を増やす」には「どこかの予算を減らす」必要があります。

この難しさは「予算策定」をやったことがある人なら、誰もが痛感してるでしょう。

 


かつてフレクスナーは「学者が研究をするためには外界との接触を制限しなければならない」と、ルーズベルト大統領からアインシュタインへ宛てられた招待状を勝手に開け、断りの返事を(本人の了承なく)送りました。

しかしダイクラーフはこう語ります。

 


<基礎科学には支援する価値があることを、一般の人々に納得させるのは難しい。それには、この世界を学者の目で見ることの目的や価値を、広く知ってもらう必要がある。その目的と価値を伝えるのに最適な立場にあるのは、研究をおこなっている科学者や学者自身だ。なぜなら彼らは日々、研究所や研究室や教室で、そのスリルと興奮を味わっているからだ。つまり科学への公的支援を向上させるには、科学者自身が世間に向かって声を発し、現在探究されている科学の最前線の何がそれほどエキサイティングなのかを伝えなければならないのだ。前例のないデジタルのつながりと通信手段が発達した現代において、科学者は、最新の発見や個人的経験を含む情報を一般の人々に伝えることいなく、社会に背を向けて研究に浸っているわけにはいかなくなった。>

 


「楽園」を維持するためには「楽園」に引きこもってばかりはいられない…というわけです。

 


こういう話は日本にも通じる話でしょうし、もしかしたら日本の方が悲惨な状況にあるのかもしれません。

コロナ禍は、世界の経済基盤に大きなダメージを与えつつありますから、その傾向に拍車がかかることすら予想されます。

「中国」という共産主義国家が世界に対する力を持ち、その抑圧的な側面も見せつつある現状は、あるいはフレクスナーが世界大戦前に見た<世界>と似たところがあるのかもしれません。

 


「そりゃ、仕方がないよ」

と思って、「楽園」を捨ててしまうのか、

「それじゃまずい!」

と考えて、社会への働きかけを強めていくのか。

 


ここにも大きな岐路があるように思います。

 


先生方も、大変だけどね〜。