・非科学主義信仰 揺れるアメリカ社会の現場から
著者:及川順
出版:集英社e新書(Kindle版)
2019年から2022年、NHKでアメリカからリポートしている記者が、放映に際して取材した内容なんかも加味して、アメリカで深刻化する「分断と対立」について、現地レポートしつつ、その背景を考察した作品。
<三年に及んだ取材の結果、アメリカ社会の分断を俯瞰する際の軸の一つとして「科学」という概念が有効だという結論にたどり着いた。対立の一方の側には、科学、それに基づく合理的な判断を信じる人たちがいる。バイデン大統領はこちらに含まれる。もう一方の側には、科学に対する不信感、あるいは、科学を「錦の御旗」として掲げる人々に不信感を抱く人たちがいる。その不信感はまるで岩のように強固で揺らぐことがなく、ほとんど「信仰」の域に達している。本来、宗教の信仰とは、それ自体が揺らぐことはなくても、他者を受け入れる寛容性や慈愛に満ちたものだと筆者は思う。例えば、宗教を超えた対話の機会に接した時にその思いを強くしている。しかし、「非科学主義者」たちは、その「信仰」のためには破壊行為も厭わないし、人の命が危険にさらされる事態になっても構わない。そんな彼らの属性を説明するために考えたのが「非科学主義信仰」という言葉だ。>
まあ、こういう立場なので、基本的にはリベラル寄りのスタンスからの解説になります。
「リベラル」って言葉自体、党派性を帯びるようになってきてるんで、なかなか使いづらいんっですが、<中道、ちょい左>ってくらいの意味です。
それはそれで実に興味深かったし、
「なんだかな〜」
って気分にはひたすらなるんですがw、「新しい階級闘争」なんかを読んでると、
「表面上は確かにそうなんだけど、チョット表層過ぎないかな〜」
って気分にもなります。
<アメリカで、非科学的な話を無批判に鵜吞みにする人が増えているのは深刻な問題であり、不気味でもある。ただ、この現象で注目すべき点は、人々が「非科学主義」に走ったきっかけが、「社会から取り残されている」という感情にあったことだ。そのような感情を持つ人が増えている社会構造の実態が、いわば映し鏡に現れたのが、「非科学主義信仰」だとも言える。
「社会から取り残されている」と感じる人が少なくなるためには、さまざまな支援策は必要だろうが、より重要なのは、こうした人々が、社会に対する信頼感や期待感を取り戻すことだ。今の政治や社会システムは満足できるものではないが、まだ捨てたものではない。変えられる可能性があるし、自分とは異なる意見の人たちとも話し合いの余地があると感じられることを目指すべきだと考える。>
この認識は「新しい階級闘争」にも通じるバランスの取れた感覚だと思うんですが、だとしたらなぜそれを「非科学主義信仰」というような差別的な色合いもあるようなカテゴライズで説明しようとするのか。
それじゃあ、「取り残されてる」って感覚を持っている人たちの心情には届かないんじゃないかな。
対策として「教育」を重視しているのも、それはそれで正しいと思うんですが、<今>の分析や対処においては「どうなの?」って気持ちもあります。
じゃあ、考えられてるような「教育」を身に付けてない人は排除されてもいいの?
そこで言ってる「教育」って、「生活」をする上で必要なものなの?
「社会から取り残される」という感情の一つの根拠に、作者は「数の論理」(十数年後には白人がマイノリティになる)を挙げていますが、これも表層的じゃないかなぁ。
確かにトランプは支持を失いつつあるかもしれないし、中間選挙での共和党の巻き返しは予想したほどではなかったけど、それでも<今>半数前後の国民が支持をしている。
その背景をもっと踏み込んでいくことが重要なんじゃないかと感じてしまいました。
直前に「新しい階級闘争」を読んだ影響も少なからずあるでしょうがw。
アメリカで何が起きているか?
それを確認する上においては興味深い作品と思います。
「マジかよ」
ってことは確かに起きてるから。
でもその向こうに何があるのか。
そこへの踏み込みは足りないようにも僕は感じました。
それはそれで別のところで語られるのかもしれませんが。
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