鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

自分の立ち位置を自分で考える:読書録「私たちにはことばが必要だ」

・私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない

著者:イ・ミンギョン 訳:すんみ、小山内園子

出版:タバブックス

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「愛の不時着」「梨泰院クラス」を観てから、韓国のフェミニズムがちょっと気になっています。

リ・ジョンヒョクやパク・セロイの描かれ方が、それまで自分が観てた韓国映画とはちょっと違うような気がして。

加えてソウル市長のセクハラ事件。

ここには「リベラルの罠」について感じるところもあるのですが、その背景には、やはり「フェミニズム」の大きな流れがあるでしょう。

 


本書が出版されたのは「2016年」(翻訳は2018年)。

無差別に女性が殺人のターゲットにされた「江南駅殺人事件」を契機としています。

なぜその事件が韓国フェミニズムの転換点となるほどのインパクトがあったのか?

 


<事件そのものはさほどめずらしいことでもなく、むしろ見慣れたものでした。

一人の女性が殺されました。その女性は女性であること以外、殺される理由がありませんでした。このような死は、特別な女性だけが経験するものではなく、だれにも降りかかり得るものであることを、私たちは小さい頃から知っています。なぜこの事件が起きてから女性が声を上げるようになったのか。それはわかりません。ただ、少しずつたまっていってあと少しのところでこぼれそうになっていたのを、この事件が決定づけたような気がするのです。>

 


本書が主張するのは、「男性に理解を求めようとするのはやめよう」と言うものです。

「嫌なものは嫌だと、毅然と主張をし、その理由に理解を求める必要はない」

理解すべきは「男性」の方であり、理解してもらおうと「女性」が努力するのではなく、理解が必要なのであれば、「男性」が理解する努力をすべき。

そもそも「理解」を求める必要はなく、自分たちが「嫌だ」「疎外されている」「正当な評価を受けていない」と感じるのであれば、それを強く主張すればいい。

…と言う感じでしょうか?

ある意味、これはBLM運動にも通じるスタンスかなぁ。

「男女平等」「人類皆兄弟」…って、そんな話じゃねぇんだ!

ってことです。

 


(まあ黒人差別に関しても、女性差別に関しても、背景に「長い歴史」があり、そのことについての議論は尽くされていると言う点もあろうかとは思います。

だからこそ、「理解を乞う必要はない」と言うスタンスに説得力が出てきます。

ここら辺、LGBTQあたりになると、まだグラデーションがあるかもしれません)

 


そう言う意味で、本書は「女性に向けて書かれている本」であり、男性は「お呼びでない」w。

「男性」の理解を求めてませんからね。

だから僕に必要なのは、

「じゃあ、僕は<女性の社会的地位>に関してどう言う考えを持ち、どう言うスタンスに立つのか」

ってことを、「自分で」考えることです。

その考えをまとめるために、自ら社会のあり方を考え、学び、自分のスタンスを定める。

「フェミニズム」がど〜のこ〜のじゃなくて。

 


もちろん、そこに「目をつぶる」って選択肢もあるわけですが、「娘」を持つ身としては、その選択肢はないかなぁ。

どう言う社会が望ましいと思うか、って観点からもね。

 


日本における「me too」運動は、ある種残念な流れになってるな、と思ってます。

少なくとも一般の女性を巻き込んだ大きなウネリのようなものにはなり切れていない。

一方で、セクハラに対する厳しい社会的な視線や、パワハラに対する認識なんかの向上なんかを見ると、決してそこに背を向けてるわけでもない。

このまま漸進的な改善の方向を維持するのか、それとも韓国のような大きな盛り上がりの時を迎えるのか?

…僕には分かりません。

でもこの流れは不可逆であろうとは感じています。

 


本書は娘に勧めますかね。

結構マニュアルっぽいとこもある作品なんで、それはそれで役に立つと思います。

彼女がどう読むか、ってのも、ちょっと興味深いしね。