鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

主人公はどっち?:映画評「キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー」

「バットマンvスーパーマン」と同様、「圧倒的破壊力を持つ『正義』をどうコントロールすべきか?」をテーマにした作品。
前作「キャンプテン・アメリカ/ウインター・ソルジャー」でまさかの「ポリティカル・スリラー」の主人公となった「真っ直ぐ正義のアナクロにーちゃん」キャンプテン・アメリカが、本作ではアイアンマンと、「アメリカ」を反映した現代的な問い掛けについてディスカッションします。
派手なアクションシーン満載ですが(「アントマン」には驚きましたw)、実はディスカッション・ドラマ。しかも「答え」はないんですよね、これが。



「キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー」


まあ作品的には前作方が上ですかね。
「まじ、こんな方向に行くの?」
って、驚きが前作にはあったし、レッドフォードが良い味出してました。
「問い掛け」自体も、確かに分かるんですが、「ガメラ」でもう提示されてるし、「バットマンvスーパーマン」だって…
と、思いながら見てたんですが、終盤になって、もう一つのテーマが立ち上がったところで、グッとのめり込みました。


「復讐の連鎖」


ある意味、これこそ「現代的」な問い掛けかもしれません。
そして「因果応報」に心情的な親近感を覚える人間という存在において、これこそが超えるべき、しかし実に超えがたいハードルなのかもしれません。


このテーマの焦点は「アイアンマン」にあります。
「キャプテン・アメリカ」という冠がありながら、ここに至って、本作は「アイアンマン」の物語としての色彩をグッと強くします。
「キャプテン・アメリカ」は強く、正しい。
しかし何もかも持っているはずの「アイアンマン」は常に「迷い」を抱え、試行錯誤を続けている。だからこそ、この「答えのない問い」を抱えるのは彼の役回りだったのでしょう。(立ち位置としては「バッドマン」に似てますな)


まあ、あまりにも観念的な「問い」はちょっと「厨二病」的でもありますw。
作品としての「深み」も「面白味」も、「ブリッジ・オブ・スパイ」には一歩譲ります。
でもこういう所に物語を展開させる製作陣には驚かされますね。マーベル、怖るべし、です。


(ちなみに本作では次回のマーベル映画の主人公「スパイダーマン」が登場します。キャラとしては結構面白いと思いますよ。
ただ、本作に登場させたのは「?」。
あんまり話が暗いんで、「賑やかせ」が必要だったのかもしれませんが。
あと、ニック・フューリーはどうしたんでしょうね?)