鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

本には書かれるに相応しい「時」がある:読書録「ギリシア人の物語Ⅰ」

・ギリシア人の物語Ⅰ 民主政のはじまり
著者:塩野七生
出版:新潮社

ギリシア人の物語I 民主政のはじまり

ギリシア人の物語I 民主政のはじまり


「ローマ人の物語」の塩野氏による新シリーズ。3巻予定で、例によって年末に1巻ずつ発売となるようです。
「ローマ人の物語」は最後の2巻が未読、「ローマ亡き後の地中海世界」「十字軍物語」もスルーしてて、「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」は興味深く読ませていただきました…ってのが最近の塩野作品との関わりなんですが(エッセイは割と読んでるかな?)、このシリーズを読む気になったのは、やっぱり「民主主義」ってことを考えるようになったからでしょうかね?


<民主政とその政体下でのリーダーたちの能力の有り無しは、一介の私人にとっても重要な問題だ。個人の努力で解決が可能な問題と、国家が乗り出してこないと解決できない問題のちがいは、厳として存在する。それで私が選んだのが、古代のギリシアに、それもとくにアテネに戻ってみることであった。何と言おうが、彼らこそが民主政治の創始者であったのだから。>


塩野氏としては、一時期はメディアで「民主主義とは何か」「そこでのリーダーとは」ってことを識者たちと論じはしたものの、<騒々しく論争しても有効な対案には少しも結びついていない>ことに嫌気がさして、「そもそも」に立ち返り、制度を「創り」「運営した」原点を確認したかった…ってことのようです。
この問題意識こそが「現代的」であり、僕の興味にも触れたところなんでしょう。ま、「本」特に「歴史書」には、それが書かれるには書かれるだけの「理由」と「時」があることなんじゃないか、と。


塩野作品の場合、何よりも「人」が描かれます。
本書にも魅力的な人物が次々出てきますが、メインは「テミストクレス」ですかね。
「ソロン」が土台を作り、「クレイステネス」が整備したアテネの「民主政」を、ペルシア帝国からの危機の中で如何に「テミストクレス」が運営していくのか?
これがまあ、メインテーマではないかと。
映画「300」の題材になった「テルモビュレーの戦い」もある「ペルシア戦役」はドラマチックであり、ヒロイックであるとともに、人間ドラマにも満ち溢れています。
戦役後の英雄たちの「その後」には、
「こういうことって繰り返されるんだよなぁ…」
って哀感すら感じます。


制度は「使う」ものであり、「使われるもの」ではない。
塩野氏の主張は一貫しています。
「歴史」から得たその視線を、どう「現代」に持つのか?(塩野氏が安倍政権を信任しているのはこのスタンスからでしょう)
これが中々難しかったりもするんですよねぇ。


<人間とは、偉大なことでもやれる一方で、どうしようもない愚かなこともやってしまう生き物なのである。
このやっかいな生き物である人間を、理性に目覚めさせようとして生まれたのが「哲学」だ。
反対に、人間の賢さも愚かさもひっくるめて、そのすべてを書いていくのが「歴史」である。
この二つが、ギリシア人の創造になったのも、偶然ではないのであった。>


「哲学」と「歴史」。
それは今もまた必要とされているものなんでしょう。
「生き物」としての人間はギリシアの時代からさほど変わっていないようですから…。
年末がまた楽しみ・・・だけど、他の読み残しもボチボチ読んでいこうかなぁ。