鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

約束された「破滅」の物語:映画評「ラン・オールナイト」

ボンクラ息子をめぐって、友情関係にあるマフィアのボスと殺し屋が対立する。
物語の冒頭は、死に瀕している(と見える)主人公の回想シーンからスタート。


「おやおや、ホント『ジョン・ウィック』そっくりやなぁ」


しかし、似て非なる・・・ってのが観終わった後の感想でした。


「ラン・オールナイト」


主人公である「殺し屋」は、過去の「殺し」の記憶に押しつぶされ、零落の身にあります。ボスのボンクラ息子を筆頭に、周りのメンバーも彼を蔑んでる様子。
その主人公と唯一友情を維持しているのがマフィアのボス(エド・ハリス)。
「一線を超えるときは一緒だ」
と。


おそらく「殺し屋」が殺してきたのは単なる「敵」ではなく、裏切りや内部告発を目論んだ「身内」や「友人」たちだったのでしょう。だから彼は殺した相手の名前を全部覚えている。
そしてその陰惨な「殺し」の上に今のマフィア組織は成立しているのです。


ボンクラ息子がある種の偶発的事故で「殺し屋」に殺され、ボスが「殺し屋」(とその息子)を葬ることを決めたとき、この世界の「土台」が揺らぎます。そして蔑まれていた「殺し屋」が「一線」を超える決断をしたとき、その「世界」は壮絶な「最期」を迎える。
呆気ないほどに。


この呆気ないカタストロフィーにはイーストウッドの「許されざる者」を想起させれられました。
でも本作にいるのは「怒れる神」ではなく「哀しみの神」。
このシーンは好きですね、僕は。


まあ「傑作」じゃあないかなぁw。
ちょっとラストの湖の下りは「蛇足」っぽい雰囲気も。
それでも忘れられない「何か」があるのは確かだと思います。少なくとも「ジョン・ウィック」よりは出来のいい作品じゃないか、と。
まあでも「もう一回、見たいか」って言われると、ちょっと微妙ですがね。「暗い」からなぁw。