鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「低欲望社会」

・低欲望社会 「大志なき時代」の新・国富論
著者:大前研一
出版:小学館

低欲望社会  「大志なき時代」の新・国富論

低欲望社会 「大志なき時代」の新・国富論

 


雑誌に連載していた記事をまとめて整理しなおした作品。
そういう意味では「時事性」は高いけどダブり、もあるかなw。個人的には「今」を自分なりに再定義するという意味では役に立つ本でしたが。


ただ、
「昔っから同じこと言ってるなぁ」
ってのはあります。
基本は「道州制」。
その前提となる「人口動態」に関する指摘は以前より強く前に出てきてる印象があります。ここら辺は「時代」かな。
「政治/統治制度の改革」の必要性の訴えが、「成長のために」というよりも、「停滞への危機感」という色彩を強くしてきてる、っていうのが大きな流れかもしれません。


僕自身は大前氏の主張は「総論としては賛成」です。
論理的に考えて、ここまでシッカリとした方向性と方策を打ち出してる人ってのはあんまりいないんじゃないですかね。
「低欲望社会」って考えて見たら「需要が弱すぎる」ってことでしかないような気もするんですが、それをこういう風に打ち出して具体的対策につなぐところはさすがです。


一方で、「これだけシッカリと根拠のある話をしてるのに、何で受け入れられないのかなぁ」ってのもあります。本人が一番思ってるかもしれませんねw。


「偉そ過ぎる」?
確かに。
「大きな絵図から具体的施策に落としていくあたりのプロセスが「理(利)」に偏りすぎていて、「現実」を動かす「力」になりきれない。」?
そういう向きもあるかな。
橋下徹氏の評価や距離感なんかも、ちょっと「見切りが早すぎる」感じがありますね。ここはもっと「参謀的役割」を果たすべきなんじゃないかと思ってたんですが、そう振舞うには偉くなりすぎたってことなんでしょうか。
理念の実現のためには、それでも膝を折るスタンスを取るべきじゃないかと思ってたんですけど。


今僕が感じているのは、
「大きな流れはこうだとして、自分や組織はその中でどういうポジションを取っていくべきか?」
ってことですかね。
「社会」全体の方向性の変革より、自分(や組織)がどういう舵取りをするべきかを考える。
大前氏の指摘する「危機的状況」が実感を持って感じられるだけに、そういう方向での刺激を受けるようになっています。
「低欲望社会」?
然り。
でも社会の欲望が高まっていくのを待つより、まずはその環境下で自分がいかに「成長」のポジションを取るべきなのか・
ま、そういうことです。


その延長線上に、結局は大前氏が語るような「社会の変革」があるのではないか、と感じている次第。
ちょっとさびしい感じがしなくもないですがw。