鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「ナショナリズムは悪なのか」

・新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか
著者:萱野稔人
出版:NHK出版(Kindle版)

新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか (NHK出版新書)

新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか (NHK出版新書)



これまたAmazonセールにて購入。
2011年出版の作品ですが、それ以降、中韓との関係悪化に伴うヘイトスピーチやら何やら、あるいは「シェルリー・エブド」で出てきた「言論の自由」の普遍性に対する疑念やら、「ナショナリズム」をめぐる環境は当時よりやかましくなってるように思います。
セールもそこら辺を反映して…でしょうかね?


最初に作者は「グローバリズム」と「ナショナリズムは」について語っています。
ここなんかはピケティによって、これまた「やかましく」なってる議論とつながります。
「格差問題」
これです。
作者によれば「格差問題」というのは「ナショナリズム」の枠組みを前提とした課題とのこと。
何となれば、グローバリズムによって先進国/後進国間の「格差」は小さくなってきており、労働者の賃金格差を解消するという観点からは、「グローバリズム」は推進役を果たしている。
しかしながら世論的に議論となるのは「国内における」格差であった、従って「国家」という枠組みを前提にしなければ、この課題への対処は中途半端になってします。
…ま、そうかなって感じでしょうか。もちろん「資本家」とそれ以外の格差というのはグローバルな現象なので、単純に「グローバリズムは格差を解消する」って話ではないんですが、それでも立ち位置としてはコレはなかなか面白いと思います。


作者はまた、現代のいろいろな課題を解決するには「統治機構」その「統治機構が持つ強制力」を無視することはできないと主張します。
この「統治機構」が「国家」であり、そこに「ナショナリズム」が重なる。
「ナショナリズム」を否定する論者は、こうした「強制力」のことを論じないが、多様な意見のある集団の中で何らかの主張(それが「ナショナリズムの否定」ということもあり得る)を実現化しようと思った場合、反対者を従わせる「強制力」は避けることができない。
この「強制力」のことを考察すると「ナショナリズム」的な枠組みを考えざるを得ず、ここを見ないふりして「ナショナリズムを否定する」といっても、なんに解決にもならない。
作者は「郷土愛」的な愛国論について、こうした「強制力」のことを考えに入れないダメな言説と断じていますが、これは痛かったかな。
私はどちらかというとそういう考えを持っていますのでw。
(「強制力」のない中で統一性を求めると、それは「同調圧力」になり、そこでの多様な意見の排除は「村八分」という形で出てくる…ってことを考えると、これは結構重要な視点ですね)


フーコーやらドウルーズ=ガタリやらゲルナー、アンダーソンあたりを引用しつつ、論が展開されますが、そこらへんはチョットついて行けなくなることも…w。
でも「ナショナリズム」ってことを考えざるを得ないのだってことには同意できます。
これって、
「大人の考え方をしろよ」
ってことなんでしょうね、煎じ詰めればw。


まあ日本によく見られる過度にエモーショナルで、それはそれで排他的な「ナショナリズム」的言説については、
「なんだかなぁ」
って感じを持ってるんですが、こういうアプローチは極めて現実的で建設的だと思います。
何やらエモーショナルな「ナショナリズム」が跋扈しつつあるような気配もなきにしもあらずな今日、結構重要な視点かもしれないなぁ…ってのが読後の感想です。