鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「資本主義の終焉と歴史の危機」

・資本主義の終焉と歴史の危機
著者:水野和夫
出版:集英社新書(Kindle版)

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)



大きな枠組みを提示してくれる作品で、刺激的でしたね。作者は民主党政権にも関係してた御仁で、そのことを以って「あーだこーだ」言ってる書評も見ますが、それはそれ、これはこれではないかと。


「資本主義」の本質を「中心」と「周辺」の関係性(「中心」が「周辺」から富を収奪するという形になるわけですが)と定義し、それを歴史的な事象から説明するのがまずは興味深いですね。
加えて「利潤率」の低下が先進国に見られ、それが新興国にも及んで来ているところに「資本主義の終焉」を見、現在のグローバリゼーションの問題点を指摘しています。「長い16世紀」との比較で、ここも歴史的な裏付けをしています。
「中心」「周辺」/「先進国」「新興国」と言う構図が崩れ、国内の中に「中心」「周辺」の構図を持ち込んできたところに「格差」の拡大がある(社会資本が十分に備える前に、そういう構図がもたらされた「新興国」では更に「格差」は大きくなる)…なんてあたりは、「なるほど」と思わされます。
労働規制の緩和にそこまでの明確な意図・意識があったかどうかはなんとも言えませんが。


まあ論点となるのは、この状況を「終焉」と見るかどうか、じゃないでしょうか?
当然作者は「終焉」と見て、「アベノミクス」などは「下手な延命策であり、傷を深くするだけ」との立場に立ちます。
でも
「そうじゃない。まだまだ『成長』の可能性はある。『格差』問題は配分の仕組みの問題であり、『成長』政策と混同してはいけない」
てな考え方もあり得るわけで、正直言って、僕自身、どちらと言い切れないところです。
作者が言うように、「資源」の面から見ても、「世界が均質に富んで行く」ってのは、中々難しいだろうとは思いますが。


本書の問題点は、
「じゃあ、どうすればいいんだ?/どうなるんだ?」
ってところが薄いことでしょう。


<では、成長を求めない脱近代システムをつくるためにはどうすればいいのでしょうか。
その明確な回答を私は持ちあわせていません。>(第三章)


その前段階での「ゼロ成長」における社会・経済のあり方を論じたパートなんかは、「分かるんだけど、なんだか辛気臭い」って感じw。「清貧思想」ってのは、それはそれで重んじるべきとは思いますが、社会全体に訴えていくには向かない思想なんですよね。(実際に「ゼロ成長」を維持するためには極めて多大な努力と戦略が必要だってのは分かりますが)
特に「エネルギー戦略」のところは不十分すぎるでしょう。この論でいけば「原発再稼働は必須」になるはずですが…。



民主党がこの線で「アベノミクス」に対峙していこうと言うのなら、「それはどうかなぁ」って感じです。またこういう考え方は「既得権益の固定化」にも繋がる可能性があって、これまた問題だと思います。
それもまた「格差」を拡大させていきますからね。


と言う訳で「政策」にまでつなげて考えようとすると、色々ハードルのある考え方だと思います。でも「現代」を考え、なんらかの「構図」を頭の中に持つ上では非常に参考になる作品じゃないか、と。
「中国バブル」に関する考察なんかは、「今そこにある危機」として切迫感を持って読むことが出来ました。
こういう「大きな話」ってのは、時々は接して、大局観を身につける助けとすべきだと個人的には考えています。
どこまで身に付いてるかは、まあ何とも言えませんがw。