鈴麻呂日記

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なんか、モヤモヤする…:読書録「映画を早送りで観る人たち」

・映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレーコンテンツ消費の現在形

著者:稲田豊史

出版:光文社新書(Kindle版)

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僕は1.5倍速試聴もするし、10秒・15秒飛ばしもするし、連続ドラマの飛ばし見もするし、ネタバレサイトも読みますw。(ファスト映画は見ないかな)

まあ、でも昔からテレビ録画の倍速見とか、評判になったコミックの1巻と最終巻だけ読むとか、トレンディ・ドラマの最終回だけ見るとか、あったでしょ?

僕だけ?

 

<倍速視聴、 10秒飛ばし、ファスト映画。そういった視聴習慣に馴染みがない人にとって、これらはきわめて異常な視聴スタイルだが、説明する彼らは基本的に嬉々としていて、一切の悪気がない。ゆめめ氏の言葉を借りるなら「べつに変わったことをしているという意識はない」。それがまた、筆者にとっては正直、不気味でもあった。宇宙人と話しているような、とでも形容すべきか。>

 

そこまで言うことですかねぇ…。

 

 

…とまあ、なんとなく作者の論調の方にモヤモヤ感を感じつつ、読み進めてたんですが、

「早送りで観る人たち」の解説から、その背景、社会的な環境、ビジネスのあり方…と解説が進むにつれて、「宇宙人」認定は徐々に薄れていきます(作者も撤回します)。

そして最後にはこうなります。

 

<新しい方法というやつはいつだって、出現からしばらくは風当たりが強い。  

目下のところ、倍速視聴や 10秒飛ばしという新しい方法を手放しで許容する作り手は多数派ではない。〝良識的な旧来派〟からは非難轟々である。  

しかし、自宅でレコードを聴いたり映画をビデオソフトで観たりといった「オリジナルではない形での鑑賞」を、ビジネスチャンスの拡大という大義に後押しされて多くのアーティストや監督が許容したのと同様に、倍速視聴や 10秒飛ばしという視聴習慣も、いずれ多くの作り手に許容される日が来るのかもしれない。  我々は、「昔は、レコードなんて本物の音楽を聴いたうちに入らないって目くじらを立てる人がいたんだって」と笑う。しかしそう遠くない未来、我々は笑われる側に回るのかもしれない。「昔は、倍速視聴にいちいち目くじらを立てる人がいたんだって」>

 

 

もっとも作者は「理解」はしたけど、「同意」したわけではないようで、

 

<つまるところ倍速視聴は、時代の必然とでも呼ぶべきものだった。人々の欲求がインターネットをはじめとした技術を進化させ、技術進化が人々の生活様式を変化させる。その途上で生まれた倍速視聴・ 10秒飛ばしという習慣は、「なるべく少ない原資で利潤を最大化する」ことが推奨される資本主義経済下において、ほぼ絶対正義たりうる条件を満たしていたからだ。>

 

…ってまあ、ちょっと「資本主義」批判的なトーンに落としたりもされています。

 

 

 

僕自身は、「倍速見」派ってのは、結局その分野の「マーケット」を広げていく裾野のようなものと思っています。

そういう層の中から、その分野にオタク的にハマっていく人材が出てきて、その人材がその分野を深めていく。

このオタク的な人材の数は昔も今もそう変わらなくて、「倍速見」派の存在がネットやSNSで可視化されて、なんだか世の中がそういう方向に流れているように見える…だけなんじゃないかなぁ、と。

(ビジネス的にはこの「倍速見」派のような裾野を、日本企業が取り込めていないのが問題ってのはありますけどね。ストリーミング周りの話は大体そういう話です)

 

 

もちろん、その流れの中で「オタク的人材」の数が減ってしまうケースも出てくるでしょう。

そのことはそのジャンルの衰退に関わる問題になるので、そのジャンルを愛する人にとっては大問題…だけど、それをもって「時計の針を巻き戻せ」ってのは違う話でしょう。

 

 

 

そういう意味では「批評」の弱さが気になるところではあります。

本書でもTikTok書評に対する豊崎由美さんのツイッター批判の件が取り上げられていますが、作者とは違って、僕は「販促的な書評に対して、ガチな書評をする側が存在否定のコメントを投げる」ということにネガティブな感想を持ったし、ある意味ショックでもありました。(豊崎さんが「ガチな批評」なのかどうかってのはあるかもしれんけど)

「批評」がある種の権威を持ち、ビジネス的に成立してた時期もあったんですけどね〜。

その「貯蓄」を吐き出しちゃった感じ。

ここがしっかりとした土壌を作りきれなかったことが、結局今のコンテンツ周りの脆弱さにも繋がってるんじゃないか…って思ったりもします。

 

 

 

救いは、そうした環境の変化を踏まえつつ、変化を前提としながらも質の高いコンテンツを作って以降する人々がいることかな。

そういう人たちの発言も本書では紹介されています。

「資本主義がどうこう…」

みたいなこと言っても、仕方ないでしょ?

特に映画やテレビなんか、そもそも資本が必要とされるジャンルなんだから、「一定程度の世の中の支持」がなければ成立しないジャンルです。

「どうすれば支持を受けることができるのか」「支持を増やすためにはどうすべきなのか」

それは「大前提」の話じゃないですかね?

 

 

…ってまあ、否定的な感じになっちゃいましたが、中盤から後半の社会分析・世代分析のあたり(コンテンツの奔流、SNSによる同調圧力、「間違えたくない」世代etc,etc)あたりはかなり興味深く読むことができました。

「倍速見」を肯定するか否かでだいぶ感想は変わるんでしょうけど、それはそれとしてエンタメ・コンテンツ周りの現状を眺めるのには良い本なんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

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