鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「なぜ時代劇は滅びるのか」

・なぜ時代劇は滅びるのか
著者:春日太一
出版:新潮新書

なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)

なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)



ラジオに作者が出演しているのを聞いて興味を覚えて購入。
ラジオでは実名を挙げてませんでしたが、本書内ではビシバシ実名でやり玉に挙げてます。
「岸谷五朗」ボロカスw。(僕も半ば以上は賛成ですが)



まあ言ってることはホボ「そうだろうな」と。



映画からテレビへの時代の流れの中での時代劇の「マンネリ化」
時代劇を演じる役者を育てるシステム/環境の変化
時代劇を咀嚼し、役者を指導できる監督の不在
時代の流れを反映したプロデューサーの感覚の変化



「時代劇」目線から見たら、その流れに歯がみしたくなるだろうけど、視点を変えれば、「時代/社会の要請がそこにあった」とも言えます。
プロデューサーの対応なんかは正にそれでしょう。作者が批判する「大河ドラマ」の変質(「利家とまつ」以降のホームドラマ化)は、(結果的には「大河離れ」をおこしたのかもしれませんが)一時期にせよ視聴率を獲得した訳ですからね。
「それは本来の時代劇ではない」
となれば「本来の時代劇」が受け入れられなくなて来たってことです。



僕は「時代劇」は大好きですし、まだまだ表現として出来ることはあると思っています。
でも本書を読むと、今までの「時代劇」を支えてきた構造は限界をとっくに超えていますね。この延長線上で「時代劇の再生」はないでしょう。
その意味で本書が「時代劇を介錯する」意味はあると思います。
(基本的に本書の主張には賛成できます。ただ最近の時代劇(「十三人の刺客」「最後の忠臣蔵」や「大河ドラマ」に関する主張については一面的な気もしました。「新しい時代劇」ってことを考えると、その試行錯誤の中で評価すべき点もこれらにはあると思うんですよ。
勿論、好き嫌いもありますがw)



DVD時代以降、かつての「名作映画」を観ることは極めて容易になっています。
黒澤明の「七人の侍」や「用心棒」「椿三十郎」がこんなに自由に観れるなんて、僕の十代/二十代にはなかったことです。
つまり今の製作者は、同時代人と闘うだけでなく、これらの「名作」にも対抗できるような作品を作ることを求められる訳です(新しい視聴者からすれば、その比較は「同列」ですからね)。
こんな環境に、スタジオシステムの残滓をひきずった「時代劇」が対抗できるのは難しいでしょう(本書で作者もその点は指摘しています)。
一度、行き着くところまで行き着いてから、新たなものを築き上げる。
面倒だし、勿体ないとは思いますが、最早ソレしかないのかな・・・ってのが僕の正直な気持ちです。



何か、今「るろうに剣心」の映画が評判になってますね。
「軍師官兵衛」もホームドラマ路線ではないでしょう。
ここら辺の評価がどうなのか、ちょっと聞いてみたい気もしました。