鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「ほどほど」が肝心:「ザ・サークル」

ザ・サークル<上・下>
著者:デイヴ・エガーズ 訳:吉田恭子
出版:ハヤカワ文庫

ザ・サークル (上) (ハヤカワ文庫 NV エ 6-1)

ザ・サークル (上) (ハヤカワ文庫 NV エ 6-1)

ザ・サークル 下 (ハヤカワ文庫 NV エ 6-2)

ザ・サークル 下 (ハヤカワ文庫 NV エ 6-2)


エマ・ワトソントム・ハンクス主演で映画化。
その予告編を見たときには全く興味は湧かなかったんですがw(SNS脅威論って、ちょっと盛りを過ぎてる感じもあって。実際、原作は2014年出版です)、文庫のあとがきを読んで、「風刺小説」として、インターネット文化を描いている側面が興味を惹いて、読んでみました。
いやぁ、予想以上に面白かったですよ。


舞台となる「ザ・サークル」という会社は、まあGoogleFacebookを吸収したような会社ですかね。
その会社がインターネットとSNS、さらには進化したデバイス(小型カメラやマイクロチップ、ドローンetc)によって「全体主義」的な社会に向けて進んでいくのを、女性の新入社員の「目」と「変化」(こっちが結構重要)を通して描く…というのがアウトラインです。
まあ、いわゆる「デストピア」小説のパターンですが、これはまあそんな感じで展開します。
「おいおい」
ってところはもちろんあるんですが(元カレの話とか)、パターンといえば、パターン。


個人的に面白かったのは、「ザ・サークル」やそこで働く人物、関係する社会を描くことで浮き上がってくるネット文化のありようと、それが社会を変えていく「感じ」の方です。
「元カレ」は彼らのことを指して、「ボタンを押すばかりで、現実には何かをしない輩」と批判します。
これはこれでイイトコ突いてると思うんですが、結果的に彼自身が直面したことを考えると、ある意味「底が浅い」。
それはラストに登場する人物の「演説」を読んでも、「まあ、そうなんだけどさ…」って感じたことにも通じます。
人間性
って言うのは、言葉にし、定義づけするのはすごく難しい。
だからこそ、「0/1」の圧倒的な流れには抵抗し難い…そんなとこかもしれません。
(作品的にはラストに「権力主義的」な人物が指し示されるんですが、これは余分だったかも。もっと「同調圧力」的にモノゴトは進んでいく様な気がします)


「自己開示」の問題っていうのは、インターネット(特にSNS)においては考えざるえません。
ザ・サークル」の掲げる

<秘密は嘘
分かち合いは思いやり
プライバシーは盗み>

や、推し進めようとする「全国民のアカウント化」なんかは、一見すると「とんでもない」なんですが、その裏の利便性や正義の実現を示されると、立ち止まってしまうところもあります。(児童虐待や性犯罪の抑制というのは、強くアピールするメリットですし、公的機関の効率性は確かに課題です)
映画だと、「とんでもない」が強調されるのかな?原作者も脚本に参加している様だから、作者自身の主張もそっちにあるのかもしれません。
でもそれで割り切れることでもないよな〜、と言うのが僕の読後感でした。


現実的には「ほどほどのところを落とし所に進んでいく」しかないと思いますし、そういう風になってるんじゃないかとは思うんですがね(本書も含め、一定の警鐘が鳴らされていて、それが支持されてるところからも)。
その<人間性>は信じたいとは思っています。(甘いかしらん?)