鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「若い」のかなぁ:読書録「国民国家のリアリズム」

国民国家のリアリズム
著者:三浦瑠麗、猪瀬直樹
出版:角川新書(Kindle版)

国民国家のリアリズム (角川新書)

国民国家のリアリズム (角川新書)


最近、そこここで見かけるようになった「三浦瑠麗」さんについて興味を覚えて読んでみました。
ネットなんかの記事の印象だと個人的にはちょっと「右過ぎるかな」って印象があったんですが、それだけで片付けられない引っ掛かりも覚えたもので。


「あとがき」(国民国家に生きる)を彼女が書いてるんですが、驚いたことに全く違和感なかったですね。時代感覚、現在の日本の思想地図、日本の右派・左派に対する評価…ほぼ「そうだよね〜」って感じ。
彼女は自分自身を「リアリスト」と位置づけていますが、ある意味、納得感があります。


ただ「対談」の中では「?」ってところもあるかな?
例えば憲法論議においては彼女は「9条2項廃止論者」なんですが、安倍素案の「3項追加」に反対するのは、「神学論争が継続し、不毛な状況から脱却できないから」。
これ、確かに「その通り」ですが、猪瀬氏が指摘してるように、公明党との関係等を考えると、相当に「時間」を要する対応でしょう。
その「時間」をどう評価するかという点で、「リアリズム」の質が三浦氏と猪瀬氏とでは異なる印象がありました。
僕自身は猪瀬氏の感覚に近いかな?
(安倍政権に対する不安感はありますが。これは「加計問題」での政治資本の使い方・優先順位付けへの危惧に発しています)


自衛隊」の処遇や「防衛費」の位置づけなんかは、二人の指摘通り。この改善は絶対にやるべきでしょう。
「そのためには9条2項を…」
となると「時間」という資本を使わざるを得ない。根治のためには必要だとしても、それが「棚上げ」につながるリスクをどう考えるのか?
「神学論争」を回避する方法は、もっと幅広く考えていく必要があると思います。
(そういう意味じゃ、不幸なことながら「北朝鮮問題」はその契機になるかもしれません。
この危機回避には「神学」や「原則論」ではなく、真の意味での「リアリズム」が必要ですし、その経験の中から情勢が変わってくる可能性はあると思います)


「時間」という資本の扱い方や、「根治」を求める姿勢なんかには「若さ」も感じます。その姿勢が「右」っぽくも見えるのかも。
ただ、こういう視座が提供されるようになったっていうのは、時代の流れを感じなくもないです。
まだまだメディアレベルでは主流とは言えないでしょうがね…。
(そこに苛立って、過激な方向に進んじゃわないか、が懸念かな?)