鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「コミュニケーションは、要らない」

・コミュニケーションは、要らない
著者:押井守
出版:幻冬舎新書(電子書籍)



この題名は「釣り」に近い。
だって、本書のテーマは「コミュニケーションが必要」ってことなんだからね!w



勿論、押井氏が求める「コミュニケーション」と言うのは、同調や共感を求めるための「付き合い」の意味合いが強い「コミュニケーション」ではない。
彼が言っているのは、異質なモノ、異文化を理解するために、時には議論や意見の衝突を挟みながらも、論理的な積み重ねの上に合意点を見いだすような「コミュニケーション」である。
押井氏に言わせれば、FacebookやTwitterのようなSNSは、この前者の「コミュニケーション」を支えるツール。
そこに題名の意味が出てくる訳だ。



基本的に押井氏が主張してることに僕は異論はない。
最近、「コミュニケーションの重要性」は再び主張されるようになってきてて、「飲みニケーション」や「社外交流」の復活の流れもあるけど、(それ自体を否定するつもりはないし、いいことだと思ってるんだけど)真に重要なのは後者であり、その視点を失った「コミュニケーション」には同調圧力や無責任体制の助長と言った危険性があることを忘れちゃいけないと思う。
まあだいたい「コミュニケーションが重要」なんて言い出したときは、権威側が自らの説明責任の限界を感じてるときだったりするしねw。



もっとも本書の読みどころは、ここじゃない。
確かに福島第一原発事故後の日本のあり方への「論理的」な一石や、軍事マニアっぽい視点からの日本のあり方の読み直しは読み応えがある。
第二次大戦における「海軍」の評価の低さは、僕にとってはチョット新鮮だった。



でも本書で一番面白いのは、やっぱり宮崎駿への異論。
この二人の関係はナカナカ面白いんだけど、その延長線でありながら、「原発」を挟んでかなり本質的な対立が提示されているように思う。
震災後の宮崎氏の真剣なスタンスを考えると、ここは単なる「アニメ論」としてスルーしていいようなもんではないだろう。



「鉄腕アトム」という「原子力」に立脚する存在が日本アニメの始原に存在すること。
ジブリという組織が、日本テレビや読売新聞という、原発推進派の組織との関係において設立され、成長してきたこと。



こうした指摘は見過ごせないと思うし、大きな変革のときに、歴史的な位置づけを問い直すべきという作者のスタンスは正しいと思う。
だから宮崎氏は押井氏のこの問いかけに答えるべき・・・と言うのが僕の意見。
ただし僕自身は宮崎氏はそうした点を踏まえつつ、敢えて転換点を刻印するために行動していると思うけどね。
なかなか情緒だけで動くオッサンではないだろうw。
だから僕の希望は、二人でガッツリこのことについて語り合い、社会に論点を打ち出して欲しいということ。
押井氏の挑発にはそういういともあるんじゃないかと・・・ってのは深読みし過ぎ?w



まあSNSの位置づけなんかには、僕も異論があるけど、そこら辺は分かった上での整理だと思うので、一々反論するのもなんだろう。
そういう側面があることも事実だからね。
上場後のFacebookの株が暴落した流れなんかは、SNSに対する過度な期待がはげ落ちてる過程とも言える。
ここら辺は「まだ評価が定まらない」ってのが正直なところだろう。



まあいつもの押井節と言えば、その通り。
ただあんまりメジャーなメディアで打ち出されるケースは少ないから、そういう意味では新書での本書の意義はあると思う。
なかなか面白いよ。