・時間とテクノロジー 「因果の物語」から「共時の物語」へ
著者:佐々木俊尚
出版:光文社
ユヴァル・ノア・ハラリは人類の進歩においては「虚構」(物語)が重要な意味を持つとして、「サピエンス全史」で産業革命を経て人間中心主義によって構成される<現在の物語>に至るまでを描き、「ホモ・デウス」でAIとバイオテクノロジーによって構成される<未来の物語>の可能性を指摘。<現在>から<未来>への過渡期における課題を「21レッスンズ」で提示しています。
…と言うか、僕はそういう風に整理していますw。
この整理は僕にとってものすごく腑に落ちる「物語」だったんですがw、本書は言ってみればその「過渡期における課題」への一つのアンサーなのではないか、と。
いや、これも僕の勝手な「整理」なんですが。
現在の人類の繁栄を支え、束縛もする「因果の物語」。
それが限界に来ている中、テクノロジーの進歩によって、「過去」「現在」「未来」の時間が「現在」に集約化されることで、「確率の物語」「べきの物語」「機械の物語」が人間にとって身近なものとなり、その上に「共時の物語」が立ち上がる。
ザク〜ッと、僕はそんな風に読ませてもらいました。
<摩擦・空間・偏在という感覚を大切にしながら、私たちはこの生を懸命に生き、そしてこの瞬間を共有しているさまざまな人々や、さらには機械や仮想の世界とも相互に作用をさせていく。その行動によってのみ、私たちの人生は持続し、駆動し続けるのです。その新たな物語が、「共時の物語」なのです。>
このテクノロジーに対してポジティブなスタンスが僕にはフィットします。(もちろん作者は両手を上げて「テクノロジー万歳」の方ではないんですけどw)
ハラリの「21レッスンズ」は最後に「瞑想」が出てくるあたり、「う〜ん」だったんですが(「瞑想」は重要なスキルだとは思ってますが)、本書はそこを一歩踏み込んで、具体的な可能性に言及してる。
いろいろなテクノロジーの「今」を紹介しつつ、その「意味」を考察する流れはものすごく興味深かったし、「そうかもしれない」とも感じました。
まあ個人的には「共時の物語」は「因果の物語」に置き換わるというよりは、「因果の物語」をアップデートするようなものなんじゃないかとは思うんですけどね。
「農業革命」が生み出した<虚構>が「産業革命」によってアップデートされたように、ですね。
その先にはもしかしたら「共時の物語」が人類を覆う<虚構>になるのかもしれませんが(AI+バイオロジーはそれを支える可能性は高いようにも思います)、その頃には僕は存在しないでしょうからw。
そう言う意味では「共時の物語」の可能性を視野に入れつつ、自分を束縛している「因果の物語」を分析して可視化し、再構築していく…って言うのが「今」に求められる<あり方>なんじゃないか…って言うのが僕の考えです。
テクノロジーを楽しみながら、ねw。
(ただ「格差」と「分断」という、「過渡期」には不可避の課題もありますが。ここをどうするのか…と言うのが「現代」の最大の課題かもしれないなぁ…などと考えたりもしてます。
そこら辺は本書では触れられてませんが)
5年もかけて考え、書かれた作品を、こんな風に「軽く」扱うのは申し訳ないような気がしなくもないんですが…。
でもものすごく興味深く、面白く読めた作品だったのは確かです。
ハラリやジャレドの作品が好きだったら、その延長線上で「今」を考える上で参考になる作品なんじゃないかなぁ。
少なくとも僕は参考になりましたよ。 1