鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

矢吹丈に「余生」はないけれど:読書録「一八〇秒の熱量」

・一八〇秒の熱量

著者:山本草介

出版:双葉社

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本書に関してはこのレビューが言い尽くしてくれています。

っうか、コレ読んで、読んでみる気になたんですけどw。

 


<崖っぷちボクサー、狂気の挑戦>

https://honz.jp/articles/-/45775

 

 

 

「狂気」に陥るのは、ボクサー本人はもちろん、ジムの会長、トレーナー、そして作者であるドキュメンタリーのディレクターもその渦に巻き込まれます。

でも、その渦を作り出すのは中心となるボクサーなんだけど、読んでると、彼が積極的に先導してって感じでもないんですよね。

 


マッチメイクするジムの会長

トレーニングを指導しつつ、戦術を組み立てていくトレーナー

 


それぞれが、それぞれの立場から、「狂気」の渦を作り出していて、時にボクサーをその「渦」に巻き込むような局面すらもあるように見えます。

それはドキュメンタリーを「作り上げる」ディレクターにもまた言えることであり…。

 


そういう意味で、「狂気」を作り出すのはボクサーだけでなく、その周り全員であり、それが「熱量」となって「狂気」を暴走させていく…という構図のように見えます。

時にボクサーの方が引き摺られてるような状況もありますからね、これ。

(舞台となる「青木ジム」は、本書でも触れられてるように、パワハラ等の問題で昨年閉鎖されています。

その詳細は知らないので是否をどうこういうことはできませんが、そういう関係性が成立してしまう土壌はあるのかもなぁ、とも感じました)

 


そういう中で、ボクサーを支える恋人の存在が、ちょっと面白い。

ある意味、「狂気」を支えながら、全てを受け入れるというか…。

まあ、この人がいなきゃ、ここまで彼らが来ることはなかったろうなぁ、と。

 


作者はボクサーが6年後に語る「余生」という言葉に引っかかっているようです。

それは作者自身が「現役バリバリ」だからでしょう。

これだけの「瞬間」を見てしまった人間が、それ以降を「余生」と感じるのは仕方がないことなのではないか。

「矢吹丈」は「真っ白な灰」になることができたけど、現実にはそういうわけにはいかないのですから。

その「余生」に、寄り添ってくれる人がいるっていうのは、羨ましいことなんじゃないかとも思いますよ。

 


まあ、「余生」をどう生きるのか…ってのも現実世界においては大切なんですけどね。