鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「良いニュース」(良質のコンテンツ)を送り出すことがポイントなんだけど、それを支えるメディアがあり得るかという問題も…:読書録「ニュースの未来」

・ニュースの未来

著者:石戸諭

出版:光文社新書(Kindle版)

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例によってAmazonさんのセールで購入してしまいましたw。(300円)

 


毎日新聞社で10年を過ごし、BuzzFeedで2年、その後フリーライターとして雑誌を主戦場に活躍している作者による「ニュース論」「ジャーナリスト論」…といったところでしょうか。

 


新聞、ネット、雑誌等、メディアがどうあれ、コンテンツとしての「ニュース」は将来的にも必要とされる

 


…と言うのが作者のスタンスで、その<コンテンツとしての「ニュース」>として、良質なコンテンツの一つの理想形に、沢木耕太郎やゲイ・タリーズの「ニュー・ジャーナリズム」の手法を掲げています。

本書を読むまで、作者のことは意識したことがなかったんですが、東日本大震災や福島原発のルポ、佐野元春のインタビュー等、何本かの記事を読んだことがあるのに途中で気づきました。

確かに手法やスタンスとして「ニュー・ジャーナリズム」を意識してるのは間違いなさそうです。

 


ただそういう作者の「主張」や「考え」よりも、本書は作者自身の各メディアとの関わってきた経緯と、そこでの経験の蓄積、そして「挫折」の経緯の方がよみどころじゃないかと思います。

僕はそこを興味深く読ませてもらいました。

特にBuzzFeedでのインターネットメディアでの成功体験と、そのすぐ後にやってくる失望の話は、読んでて痛ましくなるくらい。

その延長線上にあるのが、まさに<今>の「炎上」と「分断」、そして「浅薄なPV稼ぎ」のメディアの現状なわけですから。

 


<良いニュースを増やすこと、良いニュースの市場を開拓すること、良いニュースが届けられるメディアの仕組みを作ること、良いニュースの利益が上がるようなシステムを開発することは、それぞれにプロが必要とされるでしょう。そして、誰かがサボってしまえば、今以上に状況は劣化していきます。  

これは困難な道かと聞かれたら当然、イエスと答えます。イエスですが、挑戦する価値がある道ではないでしょうか。こうした挑戦をしてきたのは、今の時代に限りません。先達も挑戦し、その時代ごとに新しい方法を生み出し、次にバトンをつないだのです。>

 


作者は読者サイドのメディアリテラシーの向上には限界があると考え、ニュースを送る側=メディアサイドの意識変革に期待をかけます。

それはそれで分からなくはないし、プロとしての仲間たちへの期待もあるでしょう。

一方で本書で紹介されているYahooトピックスを巡るエピソードなんかを考えると、どこまでそれを期待していいのか…って気分にもなります。

しかしそこで絶望してたら、日本の社会としての未来にも希望が持てなくなってしまいます。

 


組織力と人材量で「ストレートニュース」の収集・報道とジャーナリスト教育を行う新聞社・通信社メディア

そこから出た優秀な人材によって「良いニュース」を作り出していくメディア(今はマスメディアの「特集」記事や、「雑誌」「本」が担い手となっている)

 


インターネットというツールによって、ここら辺の新しい生態系が出来上がってくることが望ましいし、そういう流れも見えつつあるのかもしれません。

コロナやウクライナ情勢に関する情報の渦の中には、PV稼ぎのような情けない動きが横行しつつも、そうじゃない流れも見え隠れするような気が

…ってのは楽観的過ぎますかね?

 


しかしまあ、ロシアの状況なんか見てると、やっぱ、健全なメディア、良質なニュースコンテンツ、多様な意見・議論等は、健全で自由な社会には不可欠と思わざるを得ません。

作者のような経験や見識は、そういう観点からも重要な提議をもたらしてくれるような気がします。

 

(少なくともワイドショー的な情報番組は「あんま役に立たん」ってことはわかってきたんじゃないですかね。この2年ほどで)

 

 

 

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