鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

現在進行形としては結構楽しそうかな:読書録「ひとまず上出来」

・ひとまず上出来

著者:ジェーン・スー

出版:文藝春秋

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CREAで連載しているエッセイをまとめたもの。

パートナーと別れて一人暮らしを始め、コロナ禍に突入し、思わぬ「推し活」をスタートさせたwスーさんの日々が窺えます。

スーさんのエッセイはいつも「現在進行形」で、その時その時の「考え」や「気持ち」のブレも正直に書かれるので、「自分より少し年下の、ちょっと(?)トンがった女性」がどんな風に社会を見てるか…ってのを眺めるのにちょうどいいんですよね。

(ちょっと理屈っぽいけどw)

 


本書だと印象的なのは、

「頑張る」

ってことに対する考え方かな。

他人に対して「頑張って」っていうことが避けられる風潮への違和感。

このことは堀井美香さんとのPodcast「Over the Sun」でも何度か話題になってましたが、テレビ・ラジオ業界では相当にここら辺には気を遣ってるみたいですね。

まあ、すぐに「異常残業」でブラックになりがちなところがあるから予防線が張りまくられてるのかもしれませんが、「いや、そこまで忌避せんでも…」と思ったりもするんですが、これは僕の方が「時代遅れ」なのかしらん?

 


基本的にはスーさんの「違和感」に同感するものの、一方でそのベースにある「能力主義」的な価値判断をどうしたらいいかなぁとも考えちゃいます(サンデルさんの指摘も踏まえ)。

「それはそうだけど<今>はそうじゃないんだから、対処策としては<目標>を定めて<頑張>らなきゃ」

っとは思うものの、じゃあ<今>を変えていくにはどうしたらいいのか…と。

そこんとこ置いといて、まずは「自分のこと」…って歳でもなくなってるし、社会の現状もそれを許容できなくなってる印象があるんだよな〜。

 


とはいえ、全体としてはスーさんは元気で楽しそうです。

ま、「推し活」も充実してるようだしw。

(K-POPファンの娘に姿が重なります)

現在進行形で「歳」を重ねながら、決して「年齢におもねらない」。

次の報告がどうなりますか。

 


#読書感想文

#ひとまず上出来

#ジェーンスー

 

 

 

懐古的だけど、古びてない:映画評「浅草キッド」

劇団ひとり脚本&監督、大泉洋・柳楽優弥主演のNetflixオリジナル。

ビートたけしの「浅草キッド」を原作に、たけしと師匠・深見千三郎の関係を軸に、たけしの修行時代から世に出るまでを描いています。

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…ってまあ、ここら辺は僕らの世代だと「聞いたことのある話」。

「今更それを映画化して…」

って気分はあったんですが、あまりに評判がいいので、つい観てしまい…

 


いや、これはいい映画です。

「浅草芸人」の話なんで、当然「懐古的」な色調はあるんですが、「映画」としてはチャンと新しいものになっている。

70年代でこの題材だと、「男と女のドロドロ」とか、「芸人の僻みやいじめ」とか、「アルコールに溺れた情けなさや人間関係の破綻」とかが取り上げられそうですが、そこら辺はスパッと切ってます。(仄めかしはあるけど)

「そこが物足りない」

ってのもあり得るとは思いますが、「<今>やるんなら、こうだろう」って思い切りが製作者サイドにあるんじゃないかと。

そのことで作品としてのテーマ性がクッキリと浮き上がっているってのもあると思います。

劇団ひとり

やるなぁ。

 


<以下、ネタバレを含みます。観る予定がある方は、観た後にお読みください>

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感心したのは脚本・演出の「キレ」の良さです。

物語の展開上、大きな契機は

・たけしがフランス座を出ていくこと決心する

・テレビ出演で<新しい漫才>を打ち出し、成功へのキッカケを手にする

ってところなんですが、いずれも非常に印象的なシーンに仕上がっています。

それでいて、そのシーンでは、説明的なセリフはなし。

絵面とだけの演出で、グッと迫ってくる。

これはナカナカのモンです。

たけしと師匠の「再会」のシーンも良かったなぁ。

二人が大切にしているものが重なり合って、そこに醸し出される多幸感に観てる僕も酔わされるようでした。

 


それだけにチョット残念だったのは、「再会後」以降の展開。

ここは少し「説明的過ぎる」印象が僕にはありました。

確かに「言いたい」のは分かるし、実際、泣かされもします。

…なんだけど、前半の「キレ」から考えると、もっとここはシャープに演れたんじゃないか…と。

いや、泣いといて何言ってんねん…なんだけどw。

 


「現代」パートで柳楽優弥さんは特殊メイクで「ビートたけし」に扮します。

この「リアルさ」は驚くべきだし、ここまで再現できてるからこそ、この作品は成立しているとも言えるでしょう。

そういう意味でも<今>だから作れた作品でもありますね。

 


いやぁ、劇団ひとり。

ほんと大したもんですわ。

 


#映画感想文

#浅草キッド

#Netflix

#劇団ひとり

#大泉洋

#柳楽優弥

#ビートたけし

足元のコストアップ・インフレの動きもあって、目先の対応は難しくなってるけど、大きな流れとしては納得感がある:読書録「変異する資本主義」

・変異する資本主義

著者:中野剛志

出版:ダイヤモンド社

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この手の本に「面白かった」って感想は相応しくないのかもしれませんが、「面白かった」んですよね、正直なところw。

まあ、僕は「経済」に関しては「不偏の理論」みたいなもんはないと思ってて、所詮は「その時点における対処療法」を導くのが「経済学」の役割だと考えています。

そういう意味じゃ、「現状をどう解釈し、どういう方向性が望ましいと考えるか」というのがポイント。

その点、本書の解釈は僕の現在の問題意識に近いところがあった、ってとこでしょうか。

 


<新型コロナウィルスのパンデミックと、中国のハイブリット軍国主義の台頭。

この二つがもたらす構造的な変化によって、世界は、社会主義化ー政府の経済社会への関与の強化と積極財政ーへと変異を遂げていくだろう。バイデン政権の「経済政策の静かなる革命」は、その変異の予兆にほかならない。これが、本書の主張である。>

 


前半は「長期停滞」を経て、コロナ禍で打撃を受けた各国の経済政策が「積極財政」に踏み込んでいく…という流れと背景を論じています。

「供給」サイドの対策を重視していた経済学が、「長期停滞」を分析することで、「需要」サイドへの手当てが必要であると考えるようになった…って流れ(ザク〜っとした僕のまとめだけどw)がナカナカ興味深い。

ここら辺、コロナ対策における日本の対応にも感じたことでもあるんですよね。

「需要サイドが新自由主義政策等によって傷んでしまった。そのことで供給サイドの対策が効果的でなくなり、<長期停滞>に陥っている。そこに手を入れなきゃ」

ってのは、大前研一さんの「欲望社会」にもつながったりしますかね。

「カーボンニュートラル」や「グリーンエコノミー」なんかは、こういう「需要サイド」を喚起する政策と考えることもできるかもしれません。

そりゃまあ、「環境対策」も重要ですけど。

でもそれにしちゃ、先進諸国の動きがあまりにも急で、激しいのは…。

(ちなみに「信用創造」を中心とした理論パートのところは、チョット僕には理解できないとこもありました。なんか、体感的にw)

 


後半の「覇権戦争」「中国のハイブリッド軍国主義」のあたりは、読み方によっちゃ、「陰謀論」臭いw。

でも丁寧に流れを見てると、「そうなんだよな」って納得感もあります。

それが喜ばしいことかどうか、ってのは、また別の話ではありますが。

 


作者がいう「社会主義化」ってのは、イデオロギー的な帰結によるものではなくて、現状の世界・経済情勢を見る限り、そういう方向性(政府の経済社会への関与と積極財政)に行かざるを得ないだろう…というものです。

そこで最も重要なのは何か。

その「大きな政府」を動かし、「経済に関与」できる<統治能力>です。

しかしながら、それこそがこのコロナ禍で見えた<日本の課題>でもあるのではないか?

 


<そんな我が国の政治や行政に、いまさら社会主義化に必要な高度な統治能力を求めても無駄である。そう言われれば、反論のしようもない。

だが、もし、そうだとしたら、どうすべきなのであろうか。

答えは、単純である。

我が国は、その統治能力を高めるしかない。

さもなくば、これまで通り、自滅の一途をたどるのみ。それだけのことである。>

 


なんとも…。

「面白かった」とか言っちゃいかんかな。これはやっぱり。

 


#読書感想文

#変異する資本主義

#中野剛志

<雑誌>を作り上げるということ:映画評「ファッションが教えてくれること」

ジェーン・スーと堀井美香のポッドキャスト「Over the Sun」で取り上げられてたのを聞いて、妻が「見たい」と言ったので、ご相伴に預かりました。

2009年のドキュメンタリーで、「プラダを着た悪魔」で名を馳せたアナ・ウィンターが、ヴォーグ9月号(9月号はファッション雑誌にとってはその年のキーになる号となるようです)を作り上げるまでを追っています。

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アナ・ウィンターは自分のことを「天才」とは思ってないんですね。

その彼女がセンス抜群のメンバーを率い、駆使し、上がってくるものの中から「選択」していくことで、世間を引っ張っていくようなセンスとスタイルを持った<作品>(Vogue)を作り上げていくわけです。

彼女自身が自分の強みとしてあげるのが「決断力」。

まさに…って感じ。

 


まあ、その「選択の場」に材料を提供していく者たちは、振り回されて大変ですけどね。

本作でその役回りに当たっているのが、アナ・ウインターの盟友とも言われる「グレイス・コディントン」。

「こりゃ、最後は彼女が<辞めてやる!>って放り出して終わるんちゃうか?」

とまで思っちゃうんですが、その着地点がなんとも…(いや、ドキュメンタリーなんだけどさw)。

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僕自身はこれを観ながら、

「いやぁ、そこまで酷くないんじゃないの、アナ・ウィンター」

って思ったんですが、そう言ったら妻に変な顔されちゃいました。

僕も相当時代錯誤なのかしらん?

(自分があんな風に振る舞ってるかっていうと、そんなことはないですけどね。

ありゃ、

自分の強みに「決断力」って即答できる人の振る舞いではあります)

 


2009年のドキュメンタリーなので、今は少し事情も変わっているよう。

72歳になったアナに関する記事を、ちょうどクーリエで読んだところでした。

https://courrier.jp/news/archives/271540/


有料記事ですが、「紙媒体の低迷(ネットメディアの伸長)」「人種問題」等に直面し、現在ではかなり考え方を変えて改革に取り組んでいる…という内容でした。

相変わらず、「旗」は元気に降ってらっしゃるようですがw。

 


まあ、面白く観れたんですが、やっぱ前提として「プラダを着た悪魔」は観ておいた方がいいんでしょうかね、コレ。

なんか、タイミングがなぁ…。

 


#映画感想文

#ファッションが教えてくれること

#アナ_ウィンター

 

こういうバランスになるかぁ:映画評「るろうに剣心 最終章  The Begining」

2部作だった「最終章」の2本目。

…なんだけど、作品的には「るろうに剣心」そのものの「前日譚」になってます。

原作では「回想」として語られるエピソードを、完全に独立させて一本にしてますね。

なんなら2部作の前作(The Final)からも独立してるって言ってもいいくらいw。

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「るろうに剣心」という話は、「明治」を舞台にしながら、「幕末」を引き摺った主人公と、その「後始末」が語られる物語です。

当然、歴史上の人物が重要人物に出てきますし、「幕末の動乱」の歴史上の意味合いも反映してきます。

…なんですが、もしかしたら原作者はそこら辺は「背景」(あるいはマクガフィン)くらいに考えてたのかもw。

舞台は「そういうこと」にして、そこで派手なアクション・マンガをやっちゃろう…みたいな。

 


そのこと自体は否定されるもんでもないし、実際それで物語は面白くなってもいます。

実写版もそこは引き継ぎつつ、ワイヤーアクションや高速剣技で、よくできた「サムライ・ファンタジー」を作るあげてくれてると思います。

 


でもね。

やっぱりチョット惜しいんですよ。

「幕末」の物語を、ただの「背景」にしちゃうのは。

 


…で、「追憶編」。

原作者の意図がどこまであったのかは分かりませんが、幕末を舞台にしたこの作品では、歴史上の人物と時代背景が物語の中に食い込んできて、「幕末」の歴史上の意味合いが問われるような話になっています。

「新しい時代」を作ろうとする、桂小五郎や高杉晋作

「今の体制」を守ろうとする、新撰組や幕府の影の組織

本作のヒロインである「雪代巴」は、その狭間で引き裂かれるような存在と言えるでしょう。

そして、その影は主人公である「緋村剣心」にも引きずられることになる…。

 


映画作品としてはどうですかね。

やっぱり「回想編」をそれだけ括り出して、独立させちゃうのはチョット無理あるかなw。

物語的には「The Final」に組み込んだほうが良かったように感じます。

話のトーンがとにかく「静か」すぎるというか、なんというか。

まあ、それがあるから、アクションシーンが際立つってのもありますかね。

 


本作のアクションシーンについては、終盤の戦いを除くと、「幕末テロ」と「体制の弾圧」を象徴するようなシーンが多く、「リアル」とは言えないんだけど(あんなに高速で剣は振れないw)、「残虐性」は全面に出てくる表現になっています。

それが製作者のやりたかったことでもあるんじゃないかな?

だからこそ、維新後の剣心は「迷い」続けているわけですから。

 


シリーズ全体を通すと、やっぱり「第1作」が一番いいかなぁ。

その次が本作になるか、第2作あたりになるか。

シリーズ・ファンなら見て損はなし。

特にそうじゃないなら、1作目で十分かしらんw。

 


(エンタメとして、この路線はグローバルにも耐えうるんじゃないかとも思っています。

「日本沈没」とかより、<サムライ・ファンタジー>を「カンフーアクション」みたいに売った方がいいんじゃないかと思うんですが、Netflixさん、いかがでしょう)

 


#るろうに剣心

#最終章

#the_bigining

 

デジタルを「ネガティブ」にとらえるのではなく、「どう使うか」を模索しています:読書録「デジタルで変わる子どもたち」

・デジタルで変わる子どもたち 学習・言語能力の現在と未来

著者:バトラー後藤裕子

出版:ちくま新書(Kindle版)

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「デジタル・テクノロジーと教育」をテーマとした新書。

…と言っても、「経験」をベースにしたエッセイ的なものではなくて、各種の論文・研究をベースにして、「どこまでが分かっていて、どこが分かっていないのか」について整理・論じる<硬め>の内容となっています。(あくまで「僕にとっては」ですがw)

 


<本書では、人間の持つさまざまな能力のなかで最も重要なものである言語という能力に特に焦点を当て、生まれた時からデジタル・テクノロジーに接してきた2000年前後以降に生まれた子どもたち・若者たちのテクノロジー使用と彼らの言語発達・言語能力との関係について考えてみようと思う。>(はじめに)

 


その観点から

・動画・テレビの乳幼児への影響(2歳以下にはネガティブ。それ以上は「使い様」)

・デジタルと紙との違い(「ある」が、ネガティブかどうかの判断は早計)

・SNSと読み書き能力(これも「ありそう」だが、ネガティブ判断とまで言い切れるか)

・デジタル・ゲームと学習(うまく使えば「ゲーム」は学習効果を向上させうる可能性も)

・AIと言語学習(使い様)

という論点で研究紹介がされています。(( )内は僕の勝手な「感想」ですw)

 


総じて読んでいて思ったのは、

「影響が<ない>とは言い切れないが、ポジティブ/ネガティブの判断は難しい。<使い方次第>というのが正直なところ」

って感想です。

もちろん教育現場の個々の場面においてはもっと丁寧な整理と対応が必要とは思いますがね。

 


<以下は、学校における言語教育の立場から主に話を進めるが、家庭内での保護者などによる言語教育にも大筋はあてはまるだろう。  

まず、大切なのは、教師が適切なデジタル・リテラシーを身につけることである。デジタル・リテラシーとは、 ①自分の目的に合ったデジタル・コンテンツを見つけだし、使えること、 ②目的に応じて、自分でデジタル・コンテンツを作ることができること(たとえば、ブログを作ったり、動画を作成するなど)、そして ③デジタル機器やアプリを使って、コミュニケーションや情報交換ができることだといわれている。教師が常に新しいアプリケーション・ソフトに精通している必要はない。ただ、授業の目的に応じて、相応しいデジタル・コンテンツを自信を持って使えるだけの、最低限の知識とスキルは不可欠である。そして、児童・生徒の言語コミュニケーション能力を促進するために、言語習得の本質である身体性、社会性、感情・情緒の伝達をどのようにフォローしながら、デジタル機器を有効に使うべきかを模索する必要がある。>

 


この「デジタル・リテラシー」の話は、

「そうだよな」

と同感もします。

コロナ禍で、ビジネス現場でも相当にデジタル化が進んでいますが、その急速な展開についていける/いけないが、結構鮮明になってきています。

ここら辺は「年齢・性別」よりも「デジタル・リテラシー」の差によるところが大きいかと。

「とりあえずやってみて、うまく行かなきゃ、やり方変えてみるか」

「どういう機械やソフトを使うのか、それをどうやって使うのか、トラブルがあったときはどうするのか等々、ちゃんと教えてくれないと怖くて使えない」

…この差。

もちろん「どっちがいい」って話ではないんですが(どちらのスタンスにもメリデメあります)、現状は「前者」じゃないと「取り残される」ってのが露わになって来ている印象です。

(これもコロナ禍がおさまる中で揺り戻しがあるかもしれませんが)

 


本書の最終章(デジタル時代の言語能力)では、コロナ禍での世界各国での学習への影響、そこから「コロナ後」に向けた見通しが論じられていますが、日本に関しては「・・・」です。

そこからの巻き返しも今のところハッキリとは見えてこないしなぁ…。(もちろん、現場では色々やってくれてると期待してますけどね)

 


「デジタル」が日常を変えつつある現状は、自分自身でも感じますし、子どもたちを見ていると尚更に思います。

そこに「危機感」もあるのは確かですが、「社会環境」が変化するのに対応していることを否定することがどこまでいいことなのか、正直迷ってもいます。

だからまあ、結局自分でも世の中のデジタルの動きを追いかけようとは努力してるんですけどねぇ…。

 


でもなあ。

デジタル・テクノロジーって、「老眼」との相性があんまり良くないっていうか…。

「躓きの石」は、割とそこだったりしてw。

 

 

 

#読書感想文

#デジタルで変わる子どもたち

#バトラー後藤裕子

「な〜めて〜た〜」かと思ってたら、結構な「地獄めぐり」:映画評「キャッシュトラック」

「ジェントルメン」が面白かったんで、同じようにスタイリッシュで捻りの効いたクライムコメディを期待して、視聴。

…全然違ってたw。

ガイ・リッチー。

結構、振れ幅あるんですよね。

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現金輸送車の警備会社に中途採用された「H」。

入社試験はギリギリの合格判定だったが、現金強盗に襲われた時、圧倒的な制圧力を見せつける。

一体、彼は何者なのか…

 


ってな感じの話で、ガイ・リッチー版「な〜めて〜た〜」(舐めてた相手が殺人マシーンだった)系の作品かと思ってたら、(そういう設定ではあるけど)トーンは全然違ってて。

まあ、「ジェイソン・ステイサム」ですからね。出てきた時から「強そう」ってのはありますw。

 


一貫して作品に流れる低音の効いたサウンドトラックが作品全体に不穏な雰囲気をもたらしていて、主人公の過去が明らかになるにつれて、作品は「地獄巡り」風の復讐譚になっていきます。

そう思ってみると、これはこれで締まった良い作品。

「ジェントルメン」風のクライムコメディか、「な〜めて〜た〜」系アクションを勝手に期待してたコッチに問題ありではあります。

不穏な展開ながらもラストがエンタメとしてスッキリ収めてるあたり、後味はさほど悪くはなかったです。

僕は嫌いじゃないですよ。

 

(そういう意味では原題「Wrash of Man」の方がテーマを的確に表しています。

「男の怒り」。

ジェイソン・ステイサムの「激怒」が如何に恐ろしいか…って話なんです)

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しかし、こんなに現金輸送車って襲われるものなん?

一番の問題はそこじゃないかとも…w。

 

 

 

#映画感想文

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