鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「生産性向上」のための強制力としての「最低賃金引き上げ」:読書録「日本人の勝算」

・日本人の勝算  人口減少×高齢化×資本主義

著者:デービッド・アトキンソン

出版:東洋経済新報社

f:id:aso4045:20190321103726j:image


「新・所得倍増論」「新・生産性立国論」などで日本の生産性向上について提言してきたアトキンソンさんの新作。

前作との違いは、自分の論考だけではなく、数多ある先行的な研究論文を引いてきて、考察を組み立ててるところですかね。

ま、僕はそういう原論文にあたるヒマも能力もないので、結局はアトキンソンさんのお話を聞いた…って感じになっちゃってますがw。


超高齢化社会を迎え、巨額の社会保障費用を賄う必要がある(そうでないと社会の安定性が損なわれることになる)日本においてはGDP(一人当たりではなく、マスとして)の維持が重要。


という前提条件に立った上で、


<本書では、3つのことを提言してきました。

1つ目は、生産性向上にコミットしてこう生産性・高所得資本主義を実施すること。

2つ目は、それを可能にするために企業の規模拡大を促す、統合促進政策を実施すること。

そして、3つ目は、単に制度を整備するだけではすべての民間企業が国も狙いどおりに動くはずがないので、津々浦々の企業に動いてもらうため、最低賃金の継続的な引き上げを行うこと。>


この「最低賃金引き上げ」が結構インパクトを持って取り上げられていますが、作者の意図は「社会保障としての最低賃金引き上げ」ではなく、「生産性向上実現のための経済政策としての最低賃金引き上げ」になります。

まあ、ぶっちゃけ「経営者の<言い訳>を封じ、生産性向上に取り組ませるために<尻を叩く>」ため、ですね。

だから「個人の継続的生産性向上」についての言及もあり、「生涯学習」実現の制度提案が「4つ目」に挙げられています。


「最低賃金引き上げ」については「失敗例」として韓国のことがすぐに頭に浮かびますが、この点ももちろん言及されています。(引き上げ率が高すぎたことが原因)

しかし個人的には最低賃金においてすでに韓国に日本の方が劣後してるってことの方がインパクトありましたが…。


正直、「最低賃金引き上げ」については「ニワトリタマゴ」の部分があると思うけど、たしかにここまで来たら御託言ってても仕方ないんで、「やるべし」かもしれんなぁ。

相当に激しい反発や混乱も考えられると思うけど(結構他人事じゃないトコもあります)、アトキンソンさんの言うことも分からんでもない。

生産性向上をしつつ、価格転嫁の連鎖も実現する必要があるけど、そのためには「中長期的計画を示しつつ、強制力を持って実施する」ってのは、経営者の尻を叩く上においてポイントになると思いますしね。


観光政策(インバウンド政策)についてはアトキンソンさんの提言は実現してきた様にも見えます。

最初読んだ時は「わかるけど、なかなか…」って印象でしたが、現実はそれを超えてるスピード感も…。

そういう意味では本書の提言なんかも、受け入れられる余地はあるのかもしれないなぁ…と。

立憲民主党あたりが、「社会保障政策」と混同して、へんな取り上げ方しちゃいそうな懸念もなきにしもあらず…とか思ったりもしますがw。


ちなみに、ここら辺も痛かったですよ。


<日本人の「変わらない力」は異常


(中略)


なぜ、こんなにも頑なに変わろうとしないのか。変わる必要がないと思っている人たちは、こんな理屈を述べ立てます。


日本は世界第3位の経済大国である

戦後、日本経済は大きく成長してきた

日本は技術大国である

日本は特殊な国である

よって、日本のやり方は正しいし、変える必要はない


私が「変える必要がある」と指摘すると、次のような反論が返ってきます。


日本はお金だけじゃない、もっと大切なものがあるんだ前例がない

海外との比較は価値観の押し付けだ今までのやり方は日本の文化だ

見えない価値がある

データ、データと言っても、データはいらない

さらに、本音を言う人は「俺はこれ以上がんばるつもりはないよ」と言います。


(中略)


日本企業は、自由にさせておくと、生産性を向上させる方向に向かわないことは、これまでの歴史を振り返れば明らかです。だとしたら、強制的にやらせるしかありません。それには最低賃金の引き上げが最適です。>


ファックスで送られてきた注文書に、捺印して、ファックスで送り返している自分としては否定しきれんトコもあるかな、と。

 

PS ただし、チャレンジングな取り組みをしてるイギリスが政治的には…とは思いましたが。

今日は小学校の卒業式。

娘の卒業式でした。

ここのところ雨模様も多かったですが、好天に恵まれて良かったです。

f:id:aso4045:20190320121824j:image

 

一クラス30名で二クラス、約60名。

自分たちの頃を思い出すと、少子化の影響に改めて驚かされます。

もっともこの辺りも再開発でマンションが増えて、娘たちの学年を底に、下の学年からはまた人数が増えてるようですが。

 

服装は娘の希望で、袴。

女子の半分は袴かな〜。

f:id:aso4045:20190320122159j:image

 

こういう記事もありましたが、

 

<小学校、はかま姿で卒業 行政「式が破綻」自粛促す是非>

https://www.asahi.com/amp/articles/ASM3D5JXLM3DUTIL02Y.html

 

子供が希望するとナカナカね〜。

我が家も袴ですし。

個人的にはスーツ姿の凛々しい女子も良かったですけどね。

(男子はパッとしませんな、スーツ着てても。ちょっと照れがあって、姿勢が悪いのが…って余計な話w)

 

どうあれ、自分の子供の成長を改めて感じる機会です。

卒業式。

f:id:aso4045:20190320124816j:image

 

今度は入学式。

さすがに洋装ですw。

かなりマットー:読書録「健康の結論」

・健康の結論

著者:堀江貴文

出版:KADOKAWA(Kindle版)

f:id:aso4045:20190318141310j:image


知人が亡くなったという知らせを受け取ったタイミングでKindle Unlimitedにアップされてるのを見かけて、購入。

「予防医療普及協会」を立ち上げて、予防医療の普及に努める一方で、ビジネス化も進めている(本人もコメントしてます)あたりは賛否もある?

でもまあ、内容は至極真っ当なんじゃないか、と。

高城剛さんみたいなとんがったとこは、ありませんw。

<「不老超寿」>

http://aso4045.hatenablog.com/entry/20170914/1505376209

(あ、巻末の落合陽一さんとの対談は、ちょっとそんな感じもあるかな)


取り上げてるテーマは以下。

 

自殺(鬱病)

AED

ガン検査

脳卒中対策

HPVワクチン

歯周病対策


基本的には標準的な予防医療(検査等)を、リスクにも言及しながら説明してる内容で、代替医療とかを紹介するような本じゃありません。

そういう意味じゃ、「当たり前のこと」が書かれている。

でもだからって、誰もがちゃんと検査してるわけじゃないってのが現実ですな。

(僕自身も会社の定期検診は毎年受けてますが、それ以外は特別にって感じです)


まずは「ピロリ菌」の検査。

それと歯の定期クリーニングかな、まずは。

あと(ちょっと中断せざるを得なかった)ストレッチ&筋トレの再開。

体重も落とさんとね〜。


で、昼休みに「ピロリ菌検査」受けてまいりましたw。

さてさて、どうなりますか。

(もっとアッサリ検査してくれるかと思ったら、ちょっとバタつきました。

コレは病院にもよるんでしょうがねw)

 

「透析中止報道」や「大学改革」のことなんかも考えながら読んでました:読書録「科学と非科学」

・科学と非科学  その正体を探る

著者:中屋敷均

出版:講談社現代新書(Kindle版)

f:id:aso4045:20190317101157j:image


「その正体を探る」と言う副題だと、何かの「論考」みたいですが、基本的には「エッセイ」です。

「科学」を題材にして、<世界>のあり方を明らかにしていく「科学」のあり様と、明らかにしきれない、あるいは明らかにしたと言う思い込みの狭間に生じる<闇>のような領域(「非科学」)の関係について、様々な歴史的エピソードや自分自身の経験を引き合いに出しながら論じています。

読みやすいし、面白い作品だと思いますよ。

「検証可能性」こそが「科学」の要諦だと僕は思っていますが、「非科学」との距離感や容認の態度も含めて、僕自身は結構近い感覚を持ってるかな~、と。


(そこら辺は3.11後の「原発」への評価や、ワクチンや農薬をめぐる「確率と統計」の話あたりに出て来るかな。

「どっちが正しい」

じゃなくて、自分自身の<スタンス>(哲学)の持ち方として)


最近よく思うのは、

「僕らは所詮<時代>の枠組みからは逃れられない」

と言うこと。

もしかしたら<未来>においては「科学」はすべての<闇>を明らかにし、「非科学」は姿を消す世界が来るのかもしれませんが、僕自身がそれを見ることはない。

作者はそう言う世界で本当に幸せに生きれるのかを問うてもいますが、僕としては、

「そんなの知らんがな」w。

だってそれを見ることも、経験もすることは出来ないから。


僕に出来るのは<今>において「科学」と「非科学」が提示する選択肢を見ながら、自分自身の生き方や哲学に沿ってその距離感を都度都度選択していくだけ。

マジでそれだけだと思っています。

出来る限り論理的に生きたいとは思っていますが、それ自体が僕の「選択」でしかないし、その「論理」が「真理」でないことは、「科学」が「検証可能性」に支えられているとの同義でしょうからね。

だからまあ、その「留保」を認識しながら、<今>を選択していくだけと言う、当たり前っちゃあ当たり前の結論。


「検証可能性」と言う観点からは本書では「権威」の話が語られていますが、今色々起きていることを考えさせられもしましたね。

色んな「協会」を巡るアレやコレやなんか、まさにココらへんの話だし、ここ数日考えさせられることの多い「透析中止報道」についても、「病院」「医師」「学会」「自治体」「メディア」等の<権威>のせめぎ合いとも見えます。

そして「権威」を持ち出すとき、その裏には「思考停止」があるという…

なんか、「そうなんだよな~」って感じです。


本書では作者は「大学改革」の弊害についても(作品としてはちょっとバランスを失しているくらい)熱く語っていますが、その論旨には賛同しつつも、ちょっとした違和感も感じたりもします。

作者自身は教育行政の不手際を厳しく断罪する一方で、大学人のあり方にも批判を加えていますから意識はしてると思うのですが、もっとも被害を受け、見通しもできている「大学人」自身が、「じゃあ、どうするか」を他人に丸投げしてる様な印象がどうしてもあるんですよ。

大学という<権威>にしがみついている様に。

これだけ問題点・課題点が指摘されながらも、それを解決していく方向に事態が動いていかないのは、そこらへんなんじゃないかなぁ~、と。

最中にいるみなさんが苦労してるのはよく分かるんですがね。


(この点に関しては、結局、「パトロンをどうするか」だと思っています。

これだけ情報が開示される様になった民主主義において、政府や行政が「パトロン」となることを期待することは難しいし、規模的にも足りないと僕は思います。

そういう意味で「民間」にパトロンを大学は求めるべきだし、その財力と自由度を民間に持たせるために民間における「新自由主義的」な経済環境を推進していく必要がある。

…多分、今の大学関係者の方は全く別の方向性を主張されると思いますがw。(一方で大学自身が新自由主義的な指針で運営される必要はないとも思います)

でも、マジで政府からの予算に期待するのは、ちょっと無理筋と思いますがね)


まあ、「エッセイ」ですから。

気楽に読んで、それぞれが思うところを思えば良いのではないでしょうか?

 

 

 

スマホ戦線、拡大中

子供にスマホを渡してから、「使い方」に関する論争・バトルが頻繁に発生しております。

 

基本的には、キャリアやAppleのサービスを使って、

 

①フィルタリングは設定

②使用時間を5:00ー22:00

③アプリの仕様を1時間/1日。以降は承認制

 

って制限を入れてます。

まあ、「キツめ」ですが、まずはココから…

 

と思ったら、早々に「異議申立て」が連発。

 

一番は「③アプリの使用制限」ですね。

特に(予想通りではあるんですが)LINEの使用に関して。

ただ息子と娘じゃ使い方全然違うんですがね。

 

息子:LINEゲームがもっとしたい!

娘:グループLINEで友達とダラダラもっと話したい!

 

承認はApple Watchで出来るので、都度してるんですが、

「親に承認を求める」

ってのに抵抗があるようです。

そりゃそうでしょうな。

僕だって10代の頃、いちいち「親にお伺い」とか求められたら、嫌やったと思うモン。

 

今後、娘が通学するようになったら、例えばMUSICアプリの使い方なんかも考えて制限は変えていかなきゃいかんなぁとは思ってたものの、こんなに早々に議論になろうとは…

 

僕の知識的な問題もあって(制限の掛け方の仕組みがチョット分からないところがある)、今のところペンディング中ですが、早晩、打ち合わせをしなきゃいけないと考えてるところ。


やれやれ…

「サブカル」が「普通」になってきた象徴の一人と思ってたんですが。

ガツンと来た。

 

<俳優のピエール瀧容疑者を逮捕 コカイン使用の疑い>

https://news.line.me/issue/social/188013ffc752?utm_source=Facebook&utm_medium=share&utm_campaign=none

 

僕はそんな熱心な「電気グルーヴ」ファンじゃないけど、やんちゃな頃から何となく活動は知ってて、まあサブカルの真ん中(って表現も変やけど)から、いつのまにか「お茶の間」に浸食してたのを、

「サブカルがサブカルじゃなくなってきたなぁ」

って見てたんですが…。

(リリー・フランキーさんとね)

 

それが座りが悪かったのかな~。

 

僕が一番近しく感じてたのは、「キラキラ」から「たまむすび」を聴いてた頃かな。

スゴクいい距離感で、楽しく聴いてました。

(最近は御無沙汰でしたが)

 

<赤江珠緒アナ、ピエール瀧容疑者に言及「なんでよ。何してるのよ」涙をこらえて謝罪>

https://web.smartnews.com/articles/f8QR46rrvPX

 

ほんと残念…。

 

PS こっちは卓球さんだからOKかな?

<関西電気保安グルーヴ>

https://youtu.be/gRsc0PavuOM

部分最適≠全体最適

透析中止に関する報道。


<医師が「死」の選択肢提示 透析中止、患者死亡 東京の公立病院>

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190307-00000004-mai-soci


医療的な対応という点ではこちらのコメントがほぼカバーしてくれてると思います。(さすがです、永井さん)


<問題は「透析中止」にあらず、マスコミ報道に違和感

核心は「十分な選択肢の提示と納得のいく対話」の有無>

https://www.facebook.com/100002043663158/posts/2123740614370707?sfns=mo


僕が特に気になってるのは「ジャーナリズムのあり方」です。


<何か具体的な一事例を取り上げて、その報道から「課題提起」をする>


このこと自体を否定するつもりはありません。

個人や家族が経験したことを記事にすることで、具体的で分かりやすくなるというのはありますし、エモーショナルな部分を刺激することで「課題提起」を強く打ち出すという点は確かにあると思いますから。


ただ「一個人」や「一家族」が経験したことが、「社会全体」にも同じようなインパクトを持つとは限りません。


「部分最適≠全体最適」


時にはその問題提起そのものが、社会や制度全体の安定性やメリットを揺るがすことさえあり得るでしょう。

特に「医療」に関しては、(そもそも極めてセンシティブな事案だけに)そういうリスクを内在している可能性が少なからずあると思っています。


もちろん本件がどういう方向に向かっていくかは、現時点では、見えません。


・当該病院の患者対応の体制の問題

・協会の指針との兼ね合い

・医師の個人的判断と制度の兼ね合い

・医師の無誤謬性

・医療保険制度の安定性

・安楽死問題

etc,etc


本件が投げ掛け得る<問い>の範疇はかなり広いと思いますし、それらのことがうかがえる報道のされ方、リアクションが既に出て来てもいるでしょう。


しかしながら「だからこそ」こういう案件については報道する際、単なる「<事実>の報道」ではなく、その報道において「何を訴えようとしているのか」、「社会に対してどういうインパクトをもたらすのか」等々、報道の課題提起の「意図」を明らかにする必要があると僕は考えています。


「我々は<事実>を報道するだけ。それをどう考えるかは、社会の受け取り方次第」


そう思っているのなら、あまりにも無責任だし、だいたいそういう「記事の書き方」になっていないでしょう。


メディアやジャーナリズムの問題ってのは、ドンドン大きくなってると感じていますが、まずはこういう<大局観>なき「投げっ放し報道」こそが、自らの信頼を失うとともに、安易なポピュリズムを生む出す温床にするなってのではないか、と。


なかなか難しい話なのは分かりますよ。

「対案なき反対は無責任」

と言う考え方は、「個人」においてはやはり<言論封殺>的な意味合いを持ってくるリスクが高いと思います。

しかしながら一定の「権力の行使」すら可能である<マスメディア>においては、この批判は成り立ち得るんじゃないですかね。


本件の今後の報道を見守りたいし、メディアの深掘りした記事を期待したいと思います。