・欲望という名の音楽 狂乱と騒乱の世紀が生んだジャズ
著者:二階堂尚
出版:草思社(Kindle版)
「ジャズ」と言う音楽が成立していく過程で、ミュージシャンや関係者たちが社会の薄暗い部分と如何に関係してきたか…について語った作品。
ジャズが成立したのはアメリカであり、その成立過程にギャング/マフィア/麻薬/売春/人種差別…といった社会の「裏面史」が関わってるのは有名な話で、その点も紹介されているけど、加えて日本戦後史(特に敗戦初期)でジャズがどういう歩みを辿ってきたか…についても触れているのが本書の特徴でしょう。
ジャニー喜多川の犯罪に関して、メディアの検証番組が次々と公開されていて、その中で、
「芸能という特殊な分野の話だと思っていた」
「男性の性被害に対して理解がなかった」
と言った<言い訳>がされてるけど、「芸能って特殊な分野だよね」って差別意識が、一般の人にも長くあったのも事実だと思うんですよ。
本書では敗戦初期から活躍したジャズミュージシャンや、芸能人が紹介されてるけど、彼らが日本の「裏面史」に関わってたのは事実。
そういうところに差別意識が生じる余地があったんじゃないか…ってのは昭和を生きた僕には感覚的に理解できるところはあるんですけどね。
(敗戦直後には彼らに対して<押し付けた>部分もあって、そのことが後ろめたさとして尾を引いた側面もあると思うけど)
第一章 ジャズと戦後の原風景
第二章 みんなクスリが好きだったー背徳のBGMとしてのジャズ
第三章 戦後芸能の光と影ークレイジーキャッツと美空ひばり
第四章 ならず者たちの庇護のもとでーギャングが育てた音楽
第五章 栄光と退廃のシンガー、フランク・シナトラ
第六章 迫害の歴史の果てに^ユダヤ人と黒人の連帯と共闘
目次の通り、取り上げられる話題は時系列じゃなく、日本の話とアメリカの話が錯綜しているので、作品としてのまとまりという点ではチョット弱いかも。
今のジャニーズ問題なんかを考えると、戦後ジャズ史〜芸能史に焦点を当ててくれた方が興味はひけたかもしれません。
(ベースが連載ものなんで、そうは行かないんですけどw)
ただ取り上げられてるあエピソードはどれも興味深く、面白い。
その話を追いかけるだけで、あっという間に時間は経ってしまいます。
まあ、そういう風に楽しめばいい作品なんでしょうね。
クレイジー・キャッツがジャズ畑から出てきたのは知ってたし、渡辺貞夫が戦後初期から日本のジャズを引っ張ってたのも知ってました。
(1954年の伝説の「モカンボ」セッションの司会がハナ肇で、そこに渡辺貞夫も登場する…ってのは不勉強ながら知りませんでしたが)
先日、最後のクレージー・犬塚弘さんが亡くなりましたね。
狂乱の時代も、遠い過去のものとなり、その<影>を引きずっていた芸能界も新しい波に洗われそうです。
<二〇二〇年七月に公開された大林宣彦監督の遺作『海辺の映画館──キネマの玉手箱』に、犬塚は「映画館で幸せそうに居眠りする客」として出演した。この映画を最後に、彼は芸能界からの引退を表明している。二〇一九年十月のサンケイスポーツの取材で、「クレージーのおかげで、いろんな仕事ができた。感謝しています。でも、これからはゆっくりして、あと三年ぐらいで、あの世に行く」と彼は話している。九十歳を過ぎた男の言葉としてとくに不自然ではないし、妻を亡くした独り身の晩年が孤独に蝕まれているわけでもない。彼は、谷啓の得意曲だった「スターダスト」のメロディを遠くに聴きながら語る。
目を閉じれば、ハナ肇、植木、谷啓、エータロー、安さん、桜井さんと、忙しく過ごした日々が甦ってきます。頭の中には「スターダスト」が流れてきます。ぼくの人生はクレイジーとともにあるのです。これまでも、そしてこれからも……。 (『最後のクレイジー 犬塚弘』)>
そこに感傷はあるけれど、それでもそういう<欲望と狂乱>の時代を過去のものとすることは、やっぱり必要なのかもしれないなぁ。
…そんな風にも思いました。
その先にどんな時代が来るのかは分かんないですけどね。
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