鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

理解するのも難しいし、実践に繋いでいくのも難しい…:読書録「日本の保守とリベラル」

・日本の保守とリベラル 思考の座標軸を立て直す

著者:宇野重規

出版:中公選書(Kindle版)

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「民主主義とは何か?」「未来をはじめる」が、民主主義を中心とした現在の日本の政治環境を考えるのに役に立つなぁ…って好印象があって、その延長性で「保守」「リベラル」について論じた本書も読んでみました。

居酒屋で飲みながら、「保守が〜」「リベラルが〜」とかクダを巻いて盛り上がる分には特に問題ないんですがw、チャンとした話をしようと思ったら(例えば子供達に)、ここら辺は自分なりに整理しておいた方がいいだろうなと思いまして。

前掲書のイメージだと宇野さんだったら、かなり分かりやすく整理して…と思ったら、結構歯応えありましたw。

僕の勉強不足の側面はあるにせよ。

 


目次をピックアップするとこんな感じです

 


序章 曖昧な日本の保守とリベラル

第一章 日本の保守主義

第二章 日本のリベラリズム

第三章 二一世紀の福沢諭吉

第四章 福田恒存と保守思想

第五章 丸山眞男における三つの主体像

第六章 一九七五年ー日本における成熟社会論の知的起源

第七章 一九七九/一九八〇年ー日本の戦後保守主義の転換点

終章 日本の「保守」と「リベラル」の現在と未来

 


序章〜第二章は「おお、なるほど」

第三章・第四章で「ん?」

第五章で「ひえ〜」

第六章でやや戻ってきて

第七章は「なるほどね〜」

って感じでしたw。

 


<本書では、後ほど詳しく検討するように、保守主義とリベラリズムを次のように定義している。  

まず保守主義とは、「抽象的な理念に基づいて現実を根底から変革するのではなく、むしろ伝統のなかで培われた制度や慣習を重視し、そのような制度や慣習を通じて歴史的に形成された自由を発展させ、秩序ある漸進的改革を目指す思想や政治運動」ということになる。このような定義は、保守主義の祖とされる英国の思想家・政治家であるエドマンド・バークの議論に基づいている。  

これに対しリベラリズムは、「他者の恣意的な意志ではなく、自分自身の意志に従うという意味での自由の理念を中核に、寛容や正義の原則を重視し、多様な価値観を持つ諸個人が共に生きるための社会やその制度づくりを目指す思想や政治運動」と定義される。西洋において伝統的な「自由」や「リベラル」の道徳的理念がやがて一つの政治的潮流となり、さらに経済的・社会的な射程を持つに至ったのが、ここでの「リベラリズム」である。>

 


<「保守」と「リベラル」は直ちに対立するものではない。むしろ日本において必要なのは、社会の行動や判断の基礎となる「保守」の確認であるし、多様な個人の生を受け入れる「リベラル」の確立である。両者は同時に追求することが可能であるし、追求されてしかるべきである。>

 


「保守」に対するのは「革新」であって、「リベラル」ではないという点は押さえておいた方が良いですかね。

実際、政治的側面から見た第二次世界大戦後の「自由民主党」は、バブル崩壊までは吉田政権の直系である宏池会と中間勢力・経世会による「保守リベラル」的な性格を強く持っていました。(日本における「保守本流」はこちらであって、岸ー小泉ー安倍の流れは長く「傍流」でした)

これは近世以降でも「明治維新」「太平洋戦争敗戦/占領」という二度の大きな「中断」があったことにより、日本において「保守」が確立しづらい状況にあったってのが背景の一つにはあります。

その集大成(?)としての「保守リベラル政権」ってのが「自社さきがけ政権」…って指摘は個人的にはちょっと驚き。

ただその後の民主党から今の立憲民主党に至る野党の流れが、どうしても「革新」勢力(リベラルで一括りにされちゃってるけど)の影響を払拭しきれない辺りを考えると、ナカナカ重要な指摘なのかな…とも思います。

清和会中心の自民党が「保守リベラル」から「国粋的保守」(中身は詰まってないんだけど)に軸足を移していることを考えれば、野党勢力は「保守リベラル」よりのポジションを取るのが当然なんでしょうが、どうしても「革新」的な勢力に引っ張られてしまっている…ってのが現状じゃないですかね。(最近、泉さんも苦労されてました…)

 


日本政治においては「保守」も「リベラル」も固まってなかった…って視点から、その可能性を模索したあたりが「福沢諭吉」「福田恒存」「丸山眞男」を論じた第三章から第五章になるわけですが、その「分かりづらさ」こそが、その「困難さ」を象徴している。

…と言っちゃうのは、自分の理解力を棚に上げすぎですかねw。

 

 

 

 


<私たちは今こそ、近現代日本における「保守」と「リベラル」の議論の蓄積を再確認し、その意義を現代的に発展させていく時期に差しかかっている。思考の座標軸ともなる確固とした伝統を自らの歴史のなかから再確認していくと同時に、社会における多様な考え方や価値観の存在を認め、それを真に包摂していくための哲学を構想することは、日本にとって、世界にとって、重要な思想的・実践的意義を持つはずである。そのための努力を、私たちは続けていきたい。>

 


歴史的な制約の中で、「保守」「リベラル」という思想が確固たる勢力として成立してこなかった日本において、それでも過去の試行錯誤や議論の中から、その構築を目指すべきではないか…というのが本書の主張ですかね。

思想の座標軸ともなる確固とした伝統を自らの歴史の中から再確認していく:保守

社会における多様な考え方や価値譚の存在を認め、それを真に包摂していくための哲学を構築する:リベラル

しかしそれが極めて困難であることも、本書は明らかにしていると思います。

正直、政治勢力のような大きな塊として、そういう哲学を構築し、層を構成していくことが可能なのかどうか…。

個人的には作者の思索の方向性と、現実の政治状況をつなぐアクションとして何があり得るのか…ってことが気になりました。

思いつかないんですよね。僕には。

 

 

 

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