・日本4.0 国家戦略の新しいリアル
著者:エドワード・ルトワック 訳:奥山真司
出版:文春新書
本屋で見かけたときは、
「またネット右翼向けの煽り本かいな」
と思ってたんですが(帯の偉そうな写真とかもねぇw)、どっかで書評を見たら、意外にも自分の考えに通じるところがあって、読んでみることにしました。
まあ、作者は軍事の専門家でもあるので、その観点からの提言に偏ってる面はあるものの、「国際情勢をリアルに捉えた上で、どういう対策を講じるべきか」ということを実際的・具体的にコメントしてくれています。
批判するのは簡単ですが、その場合は「じゃあ、どう考え、どうすればいいのか」を返す必要がありますね。「こうありたい」って理想論や概念論を語ってるわけじゃないんで。
日本に関する提言としては、現在の国際情勢を踏まえて、新たな世界観と戦略を身につけるべき(それが「日本4.0」)というものです。
<内戦を封じ込めた「1.0」江戸、包括的な近代化を達成した「2.0」、弱点を強みに変えた「3.0」戦後。>
なぜ「4.0」が必要なのかというと、それは「北朝鮮」が核とミサイルを持ったこと。
そのため(作者の10年以上前の論文で論じられている)「ポスト・ヒロイック・ウォー」と「地経学」の影響によって、現在の日米同盟・国連の枠組みにおいてワークしている「3.0」では対応しきれなくなっている…というのが大筋論です。
(後半は現在の国際情勢についての解説となりますが、ここはこの「ポスト・ヒロイック・ウォー」と「地経学」の観点から語られています)
「北朝鮮問題」が実質的には(リアルにアクションできない韓国のために)「朝鮮半島問題」になっている…なんて指摘は、北朝鮮の非核化や日本との関係における文政権の対応なんかを考えると、頷けるところもあるかな、と。(ここら辺、ネット保守のような感情的な論評じゃないですけどね。第一、ルトワック氏が日本を評価するのは「第二次大戦の<敗北>を認めて、その上に次の戦略を立てた」ってことなんですから)
「良い、悪い」
「こうあるべき」
「正義や公平の観点からこう」
…とかいう、概念的な論評は作者には興味がないところ。
「今を見据えて、生き残るためには何をすべきか」
語られているのはコレです。(だからって「筋肉バカ」じゃなくてw、かなり深い知見に裏付けられてもいるんですがね)
「それでええんかいな」
と感じるところもあるんですが、これは切り離して論じるべきものなのかもしれません。
高邁なこと言ってても、蹂躙されちゃったら何も言えませんから。
各章にはその章のまとめとなるような作者の言葉が冒頭に引用されてて、これがリアリストとしての作者のスタンスをよく表してて、興味深いです。
第一章 日本4.0とは何か?
<日本の問題は、一九四五年以降、有効に機能してきた「戦後システム」が、北朝鮮というむき出しの脅威には対応できなかったということだ。>
第二章 北朝鮮の非核化は可能か?
<日本のチャンスは北朝鮮の非核化が本格的に開始されたからだ。
「核兵器の王」と対峙することは難しくとも、
「援助の王」とは有利な立場で交渉できる。>
第三章 自衛隊進化論
<戦争で必要なのは、勝つためにはなんでもやるということだ。
そして「あらゆる手段」にはズルすることも含まれる。
目的は「勝つこと
であり、「ルールを守ること」ではないからだ。>
第四章 日本は核武装すべきではない
<核兵器とは、その国のリーダーが
「正気ではないことが確証された場合」にだけ
有効なものなのだ。>
第五章 自衛隊のための特殊部隊論
<「特殊部隊」とは小規模で、目立たず、効果的な組織で
なければならない。そこで求められるのは、支援のない状態で
自律的に活動できる能力であり、リスクを恐れない精神である。>
第六章 冷戦後に戦争の文化が変わった
<現在の国際政治において、世界を脅かすような大国は存在せず、
「ならず者国家」などによる小さな戦争や内乱が発生しているだけで、
「偉大な国家目的のために戦われる戦争」は存在しなくなった。
第七章 「リスク回避」が戦争を長期化させる
<勝利という目的は得たいのに、リスクという代償は払いたくない。
実際には莫大なコストがかかり、犠牲が増える可能性すらある。
軽減されているのは、指導者たちの責任だけだ。>
第八章 地政学から地経学へ
<冷戦後の世界は、軍事を中心とした地政学の世界から、
経済をフィールドとする地経学の世界に軸を移しつつある。
それは「貿易の文法」で展開される「紛争の論理」である。>
第九章 米中が戦う地経学的紛争
<米中の対立の主戦場は、
もはや軍事的な領域から、地経学的な領域、
すなわち経済とテクノロジーをめぐる紛争に移りつつある。>
ちょっと偽悪的な雰囲気もありますが、そこが味でもありますw。
なかなか刺激的な読書でした。