700ページを超えるピケティの「21世紀の資本」を読む気力はナカナカ湧きませんが、2時間弱の映画であれば…w。
「資本」が「格差」を産んできた歴史を、封建主義時代から現代まで映像を交えながら追い、現代の「格差」問題への問題提起と解決策を提案する内容となっています。
観ながら「不愉快」な気持ちになっちゃったのは、僕自身が「1%」に属する人間じゃないですからね、やっぱりw。
ピケティの指摘は「r>g」で表されます。
r=資本収益率
g=経済成長率
これって感覚的には「まあ、そうなんじゃないの?」って気もするんですが(それを実証的に集計したところにピケティの凄さがあるようです)、ピケティ自身も別にそれを「悪」とは言ってないんですよね。
資本収益の享受者が限られてしまうことに問題意識を持っている。
格差が拡大し、「持てるもの」が固定化することへの問題意識です。
歴史的に見れば、「貴族」から「IT長者」へと、この「持てるもの」は変わってきています。
すなわち、何らかの条件を課すことによって、「資本収益」の享受者を動かすことが可能なわけです。
歴史的にはその最大のインパクトは2回の「世界大戦」にあります。
ピケティたちの主張は、
「戦争に依らずして、資本収益を多くの人が享受できるにはどうしたら良いか」
ってことを模索してるとも言えるのかもしれません。(相続税対策、累進「資本」課税、グローバル課税体系etcと、その範疇はかなり広いんですが)
その目的は「中間層の復活」。(そのことによる格差の是正と、社会の安定、階層の流動化、経済力の維持)
ここら辺は、かなり世界的にも共通認識として定着しつつあると言えるんじゃないでしょうか。
まあ、それが「口だけ」なのか、実態を持って「持てるもの」へ切り込む仕組みづくりに着手しようとしてるのか、ってのはナカナカ簡単には見分けつかないんですけどね。
こういう流れで見ると「レーガン」と「サッチャー」はケチョンケチョンですなぁ。
それも分かります。
ただまあ、当時なんらかの社会的な課題があり、その解決に向けたトライとして捉えると、彼らを「悪人」扱いするのはどうかとも思います。
最もそんなこと言ったら、大躍進政策・文革の「毛沢東」も壮大な社会実験に取り組んだとも言えるんですがね。
そういう意味では「人物像」とは別に、「政策評価」(思想評価)は必要ってことかな。
「格差問題」を考える上においては、参考になる映画と思います。
ピケティの「21世紀の資本」は気になるけど、読む気力が湧かない人にはオススメです。
不愉快な気分になるかもしれませんがw。
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