・正義を振りかざす「極端な人」の正体
著者:山口真一
出版:光文社新書
ネット上で「正義」を振りかざして、結果として「誹謗中傷」や「フェイクニュース」を垂れ流してしまう<極端な人>。
こういった人が、実際には極めて少人数しかいないことは、すでにいくつかの研究・書物で明らかにされています。
ただ「極端な人」はとにかく大量に「発信する」。
結果として、中庸な意見を持つ人はネット空間に辟易としてしまい、発信をしなくなる。
そして「極端な人」の発信する「極端な意見」は、<実際の意見の分布>とは異なって、ネット上では「多くの意見」として捉えられてしまう。
「まあ、そうだよな〜」
って納得感もありますな。
じゃあ、そういう「極端な人」はどういう人なのか。
これも他でも指摘されていますが、
「暇を持て余した学生等の若者」
なんかじゃなくて、
「一定の社会的地位についている比較的収入のある男性」
…が多いという。
ぶっちゃけ「係長以上のおっちゃん」です。
…え?僕?
ええまあ、属性的にはそのようですわ。
まあ分からんでもないんだよな〜、これが。
決して自分自身がそうだとは思わないんですが(自覚がない?)、そういう風に流れちゃうってのもなんとなく…。
<人間は様々な理由で不満を抱える。同じ物事でも捉え方によってプラスにもマイナスにもなることが多いが、残念ながらマイナスにばかり捉えるような人もいる。
そうすると、「多くの人に評価されてこの地位になってやりたいことも出来て幸せだ」ではなく、「まだまだ俺は正しい評価をされていないにもかかわらずもう定年が見えてきた」になってしまう。「家族に支えてもらって幸せだ」ではなく、「俺のやって欲しいことを100%やってくれない家族は嫌いだ」になってしまう。
「極端な人」とは、一見すると幸せそうに見えても、実は全く満たされていない人たちmなのだ。>
…
気をつけよ。
本書でが「極端な人」にならないための5箇条も示されています。
①情報の偏りを知る
②自分の「正義感」に敏感になる
③自分を客観的に見る
④情報から一度距離を取ってみる
⑤他者を尊重する
これは全くその通りだと思うんですが、「個人としての振る舞い」を変えていくことに期待するだけでなく、一定程度の措置は、やはり必要だと僕は考えています。
たしかに作者も指摘するように、そういう対策は、一方で政府による圧力・統制や、表現の自由の侵害に通じるところもあり、「慎重であるべき」ではあるとも思います、「慎重」であることが「時間をかける」ことを意味するとすれば、その間の「被害者」は救われないことになる。
現状を踏まえるに、これはやはり問題が大きすぎると思います。
「ある程度見切って対策を講じ、問題があれば修正ができるように、内容や運用を透明化し、試行錯誤を重ねる」
これが重要なスタンスではないか、と。
(「熟議」ってのが、どうも今ひとつピンとこないのは、ここら辺のこともあります)
「実名制」があまり効果ないということが実証されてるってのは、ちょっと驚きではありましたが…。
(作者もこういう対策が意味ない…っていってるわけじゃないし、重要性・必要性は強く訴えいます。
ただ僕の方がもう少し「気が短い」んですよねw)
とはいえ、個人としては「極端な人」にならないよう、「自己点検」は必要ですな。
歳とって、気が短くなってきたこともあって、「正義」を求めがちなとこは、どっかにありますから。
「正義」ではなく、<限界を知った上での>「試行錯誤」
僕のスタンスはここら辺です。
とはいえ、自分のことって、結構見えなくなっちゃいますからねぇ。
なんか「極端な人」に僕がなってるようなら、教えてくださいね。