鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「薬局調剤医療費」に焦点が当たるかな?:読書録「日本国・不安の研究」

・日本国・不安の研究 「医療・介護産業」のタブーに斬りこむ!

著者:猪瀬直樹

出版:PHP

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なぜ日本の景気が回復しないのか?世界経済の基調に遅れているのか?


色々な意見にはあるし、それぞれ「然り」とは思うんですが、その中に、

「将来への不安を抱えていて、消費を控えてしまう」

という意見があります。

「年金不足額2000万円」問題なんかの盛り上がりを見ると、一理ある見方かと。

大前研一さんが主張する「欲望不足社会」なんかにも通じますかね。


本書はそうした「将来不安」の大きな要因である社会保障費の増大に対して、「医療・介護」分野の「効率化」「生産性向上」による増大抑制を主張する作品です。

「道路公団改革」で実効を上げた猪瀬さんの「次のターゲット」って感じでしょうかw。

(「将来不安」の最大の要因は「年金」だと思いますが、そこは取り扱っていません。

「効率化」「生産性向上」が当て嵌まるようなぶんやじゃないですからね。

「年金は産業ではない」という猪瀬氏の主張は肯けます)


ここら辺の数字的な背景については「リベラリズムの終わり」でも「パイの縮小」という点で指摘されています。

具体的な数字はコレ。

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「リベラリズムの終わり」より

 


1991年度と2018年度の「歳出」の比較ですが、「社会保障費」「国債費」を除けば、歳出(これが「パイ」になります)はむしろ縮小している現実があからさまになります。

僕自身はこの「パイ」そのものの拡大への取り組みが必要とのスタンスですが(規制緩和等)、急激に増大することで「パイ」を喰ってしまている「社会保障費」「国債費」をどう捉えるか、というのも極めて重要で緊急性の高い問題との認識はあります。

本書はそこに焦点を当てた作品です。


構成としては大きく三つ。


①国民医療費の削減:公立病院の統廃合、障害者雇用拡大も見据えた障害者医療・制度の見直し

②介護産業の見直し:介護保険制度の見直し、実効性のある介護予防のあり方

③薬局調剤医療費の削減


どれも重要ですが、「すぐにやるべきこと」としては「③」でしょうね。

①・②については「生産性向上」を追求することと、「ひとの生き死に」健康のあり方」とのバランスも考える必要がありますが(そういう意味では「医療・介護」を<産業>として割り切ることには躊躇があります)、③についてはそのリスクはかなり低いですから。

「門前薬局」がなぜあるのか、「大型調剤薬局」と「ドラッグストア」の戦略は何か、「零売薬局」の可能性等、歴史的な背景や現在の「産業構造」も詳しく解説することで、「技術料」を中心とした「薬局調剤医療費」の不合理性を突く内容になってます。

「門前薬局って、こういう経緯で増えたんかぁ」

という個人的気づきも含めて、非常に参考になりました。

 


「道路公団改革」は猪瀬氏の主張を小泉政権が取り上げることで実現しました。

その成否には色々な評価はあるでしょうが、SAが綺麗になった…って点だけでも、「目に見える成果があった」と言えるんじゃないですかね。

猪瀬氏も「政治的失敗」もあったし、歳もとりました。

果たして今回の「提言」を取り上げる政治的勢力がありえるのか?

ただ「リベラリズムの終わり」でも指摘されているように、「パイの縮小」に対する国民意識は思った以上に広範囲で深いと思います。

その観点からは本書の主張が受け入れられる土壌はあると考えても良いんじゃないですかね?是々非々を延々と議論する余裕はないのが現状だと思うんですが。(「調剤医療費」にスポットを当てる猪瀬氏の戦略も良いと思います)


もちろん、既得権益層との鬩ぎ合いをどう乗り越えていくのか…ってのは避けられないハードルとしてあるわけですが…。

 

邦題はちょっと「?」では…:映画評「リンドグレーン」

妻と一緒にシネ・リーブル梅田へ観に行きました。

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松山で行ったリンドグレーン展を観たときに、

「作品も面白いけど、作者自身がもっと興味深い」

と思ったってのもあります。

https://note.com/suzumaro/n/nc5beb6a5d7e6?magazine_key=mbb36b1d9bdfa

 

 

「長靴下のピッピ」や「ロッタちゃん」の作者であるアストリッド・リンドグレーンが作家になる前、スウェーデンの田舎町で生まれ、家族や社会の閉塞感に苛まれ、年上の男性との不倫から未婚の妻となり…と言った波乱に満ちた前半生から、里子に出した息子を引き取り生活を立て直し、家族とも和解するあたりまでが描かれています。


正直言うと、前半はヒロインを含めて登場人物の誰にも共感が持てず、

「こりゃキツイなぁ…」

と感じてたんですが、ヒロインが不倫をしていた男性と別れるあたりから物語にのめり込み、後半展開にはグッと来てしまいました。

かなり暗い展開ではあるんですが、終盤の明るさがその後の作者の「成功」にも重なって、観後感は思いの外、スゴく明るくて、気持ちの良い作品でした。


キーは「不倫相手との別れ」ですかね。

正確に言うと、別れの時点では相手は離婚が成立しており、彼は具体的な結婚生活の計画も立てて、プロポーズもするのですが、ヒロインはそれを拒否します。

この拒否の理由は明確に説明されてはいない。

でもそこには彼女と子供の「尊厳」が絡んでおり、「個」として立ち上がる彼女を僕は感じました。(不倫相手は「悪人」じゃないんですけどね。ただまあ、「ダメ男」です)

ここに共感できるかどうか。

作品の評価はそこで大きく分かれるようにも思います。


そういう意味で英題の「Becoming Astrid」というのは作品を象徴しています。

まあ日本の場合、「リンドグレーン」の方が知れてるので、こういう邦題になるのは仕方ないんでしょうが、「リンドグレーン」になるのは作品の後だし、そもそも「姓」の方を取り上げるのは作品テーマとしても…とは観終わった後に思いました。

 


アストリッド・リンドグレーン。


やっぱり<ただモン>じゃありませんでしたw。

歴史的だが地味な話を…と思ってたら:映画評「2人のローマ教皇」

Netflixオリジナル。

600年ぶり(見方によっては7百数十年ぶり)となる「ローマ教皇生前退位」(事例としては3例目)を背景に、退位したベネディクト16世と新教皇フランシスコの「対話」を物語とした作品。

確かに「歴史的」ではあるが、特段激しい政争やクーデターがあった訳でもないので(それにいたる背景にはドラマチックなものがあるけど)、

「なんとも地味な…。Netflixだからできることやな〜」

と思ってたんですが、どうしてどうして。

ドラマチックかつエモーショナルな作品でした。

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「史実」としては退位表明前に2人が面談した事実はないとか。

ただ2人が交わす台詞は、2人の発言や著作をベースとして組み立てられており、「全くの想像/創造」でもないとのこと。

「実話に着想を得た」というのはそういうことですね。

 


「物語」としては、「退位」を決意したベネディクト16世が、正反対の立場であるフランシスコを「後継者」として考え、呼び出し、対話を重ねる中から、フランシスコが抱える「罪の意識」に対して<赦し>を与え、新たな時代の「教皇」として導き出す…という構成になっています。

フランシスコが抱える「罪の意識」というのは、アルゼンチンの独裁政権時代の自らの振る舞いに対してあるわけですが、この描き方がなんともドラマチックで、かつ心が痛い。

同時に、ベネディクト16世の抱える「罪の意識」と「絶望」も(短い表現ながら)痛切なものがあり、アンソニー・ホプキンス(ベネディクト16世)、ジョナサン・プライス(フランシスコ)の演技力が深くエモーショナルに届いてきます。

 


いやはや、「地味」だなんて、とんでもない。

 


ただまあ、観るにはある程度の事前知識は要りますかね。

カトリックにおける「教皇」のポジション

はもちろんですが、ベネディクト16世が直面したローマ・カトリック教会の危機としての

バチカン銀行のマネーロンダリング問題

司教による性的虐待問題

…ここら辺についてはWikipedia程度の知識はあったほうが良いでしょう。

 


またもやNetflixおそるべし…の一作でありました。

(メモ)リベラリズムの終わり:民主党政権

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「リベラリズムの終わり」では<リベラル政党>であった「民主党」の失敗についても論じられています。

 


「パイの増大」が前提となる「リベラリズム」において、民主党政権は「埋蔵金」を根拠に「まだパイは増やすことができる。従って、弱者への分配もまだ可能だ」との主張をした。

しかしながら結果的に「埋蔵金」を見つけ出すことはできず、分配の原資として最終的には「消費税増税」を主張せざるを得なかった。(「事業仕分け」程度では<埋蔵金>にあたる原資を作ることはできない。これは予算の構成からも明らか)

この点が国民サイドからは「裏切り」「嘘つき」という評価に繋がり、政権を失わざるを得なかった。

 


…ま、こんな感じでしょうか。

民主党政権成立時には既に日本経済は停滞期・低迷期に入っていましたから、「パイの限界」に無自覚なリベラリズムは必然的に袋小路に入らざるを得ない環境にあったのですが、そこを直視せず、「埋蔵金」などと言う<ファンタジー>を主張し、結果的に自滅せざるを得なかった…とでも申しますか。

 


まあ、民主党政権の失敗に関しては「アメリカとの関係」「沖縄との関係」「小沢一郎や鳩山由紀夫の処遇(党内クーデターとでも申しますか)」「東日本大震災対応」等々、いろいろ言われていますが(色々あること自体が問題ですがw)、個人的にはこの「埋蔵金」騒ぎが大きいですかね。

 


その後、民主党は解体され、野党分裂/再編が未だに続いているわけですが、「パイの問題」を直視した主張が野党サイドからされているようには思えません。

安倍政権のダメさ加減はいくらでも挙げることができるんですが(個人的には公文書対応は致命的)、野党がここのところに踏み込まない限り、政権交代を僕は望みません。

 


健全なことではないとは思うんですがね…。

僕には結構納得できる整理でした:読書録「リベラリズムの終わり」

・リベラリズムの終わり その限界と未来

著者:萱野稔人

出版:幻冬社新書

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佐々木俊尚さんのFacebookで紹介されて興味を覚えて。

いやぁ、実に興味深く、自分としても「腑に落ちる」内容でした。

 


<リベラル派への批判が高まっているのも、根本的にはこのフェアネスをリベラル派が徹底できていないことに理由がある。自分たちは権力に対峙しているのだから、多少の強引さや強権さ、ルール違反、不誠実、まやかし、暴論、暴言などは許される、というおごりが(本人たちがそれをどこまで自覚しているかは別にして)彼らからにじみでているのだ。>

 


いやはや、厳しい指摘ですが、頷けるところも少なくないです。

ただ本書はそういう「リベラルの欺瞞」を掻き立てるような作品ではなく(そういうのは百田さんあたりに任せてw)、「なぜそう言う批判が高まっているのか」その背景を分析しつつ、そもそも「リベラリズム」そのものの「立ち位置」「自己認識」に誤認があるのではないかと言う指摘をする内容となっています。

 

 

 

僕自身は自分のことを「リベラル寄り」と認識しています。(弱者の救済や、公平・公正の実現、人権重視等は重要だと思ってますから)

にもかかわらず、最近のリベラルサイド(意識するのは朝日・毎日や立憲民主党あたり)の主張には違和感と、時には苛立ちを感じることがあります。

 


「なんでかな〜」と思ってたんですが、本書を読みながら思い当たることがありました。

 


僕の考えは「功利主義(全体最適)を踏まえたリベラル」に近いんですよね。

すなわち「パイの拡大があってことのパイの配分」というスタンス。

「それが当然」と(無意識に)思ってたんですが、リベラルサイドの言説にはこの点を無視して、「配分」のみを<上から目線で>求める論調が少なくない。

ここが「苛立ち」のベースにあるんです。

 


「パイが拡大」している局面なら、それもいいけど、パイが停滞・縮小する状況ではそれはただの「ワガママ」と区別がつかなくなる。

リベラルが嘆くように、「世間が右傾化している」のではなく、「世間がパイの縮小を認識し、そこに不安を覚えるようになっている」のであり、そのことに「無自覚」に主張ばかり繰り返すリベラルの「思考停止」こそが問題…というのが本書の認識だと思います。

 


「功利主義を踏まえたリベラル」ってのは、そもそも近代の「リベラル」のベースとなるロールズの主張に近いスタンスというのも興味深いです。(ロールズ自身が意識的であったかどうかはともかく)

 


「リベラリズムが終わった」というより、

「ある程度、リベラリズムが成果を挙げた中、その成果を土壌として、<パイが縮小する>現実を踏まえた<次のステップ>に(リベラル勢力は)進まなければならない」

と言うのが僕の認識です。(その<現実>の中で「リベラル」な主張をして行く)

そこら辺の頭の整理に本書は非常に役に立ちました。

一読の価値あり、かと。

 


PS  ちなみに本書が「幻冬社」から出版されてるってのも、ちょっと面白いですw。(懐が深いと言うか、ダボハゼと言うか…)

本当に大切なことは何か?:読書録「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」

・ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。

著者:幡野広志

出版:ポプラ社

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noteで古賀史健さんが紹介してて、衝動的にポチッた作品。

 


作者の方が写真家「らしい」くらいの知識しかなくて、読み始める前には何となく「メメント・モリ」(藤原新也)っぽいものを印象してたんですが、

…違ってましたw。


「そう言えば、ガンになって、余命何年か…」

と途中で思い出して、じゃあ「病気もの」かと思ったんですが、

…全然違いました。

 


「余命3年」

そこから、

「何を自分は選択すべきか」

そこを突き詰めた作品…かな?

ただ自分で考えるだけでなく、同じような境遇の方達への取材を重ね、その過程で自分自身に問いかけ、辿り着いた「今現在の」結論。

「人間関係」、特に「家族」に関して、思いと考えが重ねられています。

 


僕自身は同意できることもあれば、違和感も感じることも。

ただ残された時間を目の前に、「何を選択するのか」と言う問いかけには考えさせられるものがあります。

僕の「今の立ち位置」は、「今の僕」のもの。

過去の経験や今の状況が変われば、当然その優先順位は変わるでしょう。

幡野さんの「今」における「選択」(とその背景)には、幡野さんなりの「重さ」があるし、その真摯さは僕の「立ち位置」に如何ほどの「選択」の覚悟があるかを考えさせられます。

 


読んで、感想をどうこう言う本じゃないかな。

「自分はどうか」

それを自らに問いかける作品です。

「キムタク」度、さらに薄め:ドラマ評「教場」

4日・5日と前後編放映された「教場」。

「マスカレード・ホテル」もキムタク度は薄めでしたが、本作は更に…と言うか、ほとんど「ゼロ」の作品でしたw。

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原作は「教場」「教場2」「教場0」と読んでます。(最新作の「風間教場」も購入済み)

ドラマは連作短編である「教場」「教場2」からエピソードを選んで再構成した内容でした。

全般的には原作へのリスペクトのある、良い内容だったと思います。

まあ、前編のタイトな作りに比べて、やや後編は緩んだ感じもありましたが、一本の作品として「締め」に入るには仕方なかったな、とも。

(正直、「明石家さんま」はどうかとも思いましたけどね。ここは「マスカレード・ホテル」を見習って欲しかったw)

 


続編、あるかな?

原作もあるし、作品としても「含み」を持たせているので、「その気」はあるでしょう。

「木村拓哉の代表作」と言うには、あまりにも「キャラ」が作られ過ぎていますが、続きがあったら、見てみたい…とは思いました。

 


ちょっと、華奢すぎるかも…ってのはありますがw。