鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

確かに僕は「デジタル・エイプ」かもw:読書録「デジタル・エイプ」

・デジタル・エイプ  テクノロジーは人間をこう変えていく

著者:ナイジェル・シャドボルド、ロジャー・ハンプトン  訳:神月謙一

出版:クロスメディア・パブリッシング(Kindle版)

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「裸のサル」が、デジタルテクノロジーの進展とともに、「デジタルなサル」に如何に変容していくか、その可能性と展望について論じた作品。

基本的には楽観主義的ですが、イギリスの学者さんらしく、シニカルな口調でテクノロジーによって人間が変容していく姿を語ってくれます。


「裸のサル」も、実は「道具」によって変容してきて、地球上の「種」の頂点に立っている。同じように「テクノロジー」も「道具」として我々を変えていくはずだが、インターネットをめぐるデジタルテクノロジーの進化は今までの「道具」の進化とは異なる点も少なくないので(一番は「スピード」でしょうね)、留意しなければならない点も多々ある。


…まあ、こんな感じでしょうか?

作者は<シンギュラリティ>にも<アンドロイド>(人間に近い形質を持つロボット)にも懐疑的。

しかしそのような成果がなくとも、インターネットやデジタルなテクノロジーはすでにどんどん人間を<今現在>においても変えていっている

と語っています。

「懸念」と言う点ではGAFAやグローバル金融機関の「力」の行使には強い嫌悪感と危機感を表明。そのためには「規制を…」ってのは同感ですが、それにしちゃあ(そう言う規制を行う)政府組織に対しては、やや楽観的すぎないかな、とも。

ここら辺は「民主主義」への信頼度の差かも…。

ま、イギリス人ですから、アメリカ企業に独占・寡占されてるIT・金融大企業に対しては自ずと厳しくなってるってのもあるかなw。


…って、偉そうなこと言ってますが、僕がどこまで本書を読み込めてるかは、甚だ疑問です。

イギリス風のレトリックが持って回ってて…てのもあるんですが、(しつこいですが)本書は頭っから最後までiPhoneの「読み上げ機能」で<読んだ>んですよ。

「?」ってとこも結構あったんですが、そこは意図的にチラ見もせず、読み上げるに任せて、ほぼ最後まで通しました。


その結果は以下。


・多分、「読む」ほうだと、本書を最後まで読み通したかどうかは疑問。(内容的に理解が及ばないところが結構あったし、論述レトリックが合わなかったってのも少なからずあります)

・一方、「読み上げ」通してみると、何となく全体的な主張は把握できる。ここら辺、なんとなく英語の本をとにかくグイグイ読み進める感覚に近いものがあった。

・もちろん、僕が「理解」したのは僕自身が「知っていること」の延長線や引っ掛かりがあることがメイン。おそらく全く理解できずにスルーされてるパートも(ふつうに「読書」したのに比べれば)多いはず。

・それでもトータルではこういう形での「読書」も有効と感じる。「理解度」は少し低くても、「読書」へのハードルは低く、「量」はこなせると考えられるから。

・まあ、それにしても「誤読」は多いですなw。


作者たちが言うように、「道具」によって人間は変えられてくるし、インターネットを核としたテクノロジーは人間の精神のあり方にまで直接的に影響してくる可能性は低くないでしょう。

その「スピード感」があまりにも早いことから、(DNAレベルでの進化にまでは及ばないにしても)「社会」の変容とそれによる「人間」のあり方の変化は激しく、それだけに十分に留意していく必要はあると思います。

本質的には僕も「楽観主義的」ですが、この懸念については共有することができます。


iPhoneの「読み上げ機能」もその一端を

…とまでは言いませんがねw。

それにはもうちょい「進化」が必要でしょう。

(とは言え、そう遠い<未来>じゃないかな?日本語の本の「読み上げ」はほんの少し。そのうち英文が翻訳されて読み上げられる…なんて世界も、あり得なくはないかと思いますよ)


まあとにかく非常に幅広し視野から「デジタル」と「人間」「社会」の関係を論じた作品ではあると思います。

「ホモ・デウス」にも通じるところがありますが、本書の方がより「デジタルテクノロジー」に焦点が寄ってる感じ。(終盤のプライバシー情報をめぐる論考には正直ウンザリ。でもコレは欧州っぽいのかな)

「ホモ・デウス」よりは「デジタル・エイプ」の方が謙虚なネーミングですな。

ただし、「読み物」としては「ホモ・デウス」の方が読ませます。残念ながら。

Kindle Paperwhite 第10世代、買っちゃいました…

子供用に渡してたKindle。

なぜか画面にキズが入ってしまい…

(しかしどうやってキズが…)

 

で、まあ丁度新しい世代のが出たので買っちゃいました。(防水機能はそれほど求めてないけど)

そもそも視力への影響を考えて、なんで、キズ入りの画面じゃマズいですから。

ただし、今回はカバーもセットw。

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子供用なんでストアとの接続は出来ないようにセット。

https://hayaoki-note.com/kindle/kindle-share/


…って、だったら、Wi-Fi版でええやん!


今気付いて、ちょっと呆然…。

「顧客が力を持つ時代」っちゅうことでしょうか?:読書録「世界基準で学べるエッセンシャル・デジタルマーケティング」

・世界基準で学べるエッセンシャル・デジタルマーケティング

著者:遠藤結万

出版:技術評論社

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ある方の講演を聞いてて、「今後はデジマが重要」的な発言があったので、「とりあえず勉強してみるか」と思って読んでみました。


う~ん、どこまで自分の業務に絡んでくるか「?」なトコロもあるし、ツールの活用方法や、スキル的な話はピンと来ませんでしたがね。

ただじゃあ「全く読んで無駄だったか」と言うと、そんなことはないです。

「なぜデジマが重要なのか」

については漠然とした印象をつかむことはできました。


<本書では「エグゼキューション(execution:実行)以外の全てのプロセス」をマーケティングと定義し、「インターネットを通じて顧客/潜在顧客と関わるあらゆる手段」をデジタル・マーケティングと定義しています。>


現代においてはスマホ・PC等のデバイスによって「個人」(=顧客)がインターネットと接し、情報の収集から発信まで、極めてハードル低く実施しています。

<商品・サービスを販売する>という観点から見れば、

単純に与えられる情報に基づいて購買する顧客が大層であった時代から(だからこそテレビや新聞なんかのマスメディアを通じた広告が有効であった)、

顧客のニーズを探りながら、時に顧客との相互関係を構築しつつ、顧客個人のニーズ(顕在・潜在の)に合致した提案を行い、販売に繋げることが求められる時代になってきた…ってことですかね。

(作者はデジタルマーケティングの特徴を「相互の影響力」「パーソナライゼーション」「スピード」「数値化」とまとめていますが、納得感あります)


だからこそ重要なのは、

「顧客に意味のあるコンテンツを提供する」

という事。

本書ではSEOを始め、色々なツールの活用方法やら、スキルやらが紹介されていますが、もっとも重要と指摘していることはこの点にあります。

ツールもスキルも、それを「届ける」ためにあるのであって、中身もないのに小手先の工夫だけで顧客を誘導するというのは、大いなる勘違い。

…いやはや、全く仰る通りです。


「デジマが重要」というのは、

顧客がインターネットによって持った「力」を正しく認識し、ここの顧客のニーズに合致した提案をしていくと同時に、顧客からのFBを商品・サービスに還元していかなければならない

…ということを言ってるのではないかと整理したんですが、違いますかね?w


まあそれにしてもナカナカ難しい時代になってきたな~とも思います。

デジタルマーケティングが重視されるってことは、「個人がエンパワーされる」ってことであり、それは同時に「炎上」やら「内部告発」やら「匿名での批判・誹謗中傷」などが幅を利かすってことでもありますから。

ただその中でもデータを数値化し、見える化する中で、「声」なき個人のニーズをも掬い上げていくことで、感情に振り回される「炎上商法」とは一線を画したマーケティングが成立するのではないか?

…ってのは甘すぎる見込みでしょうか?


でも個人がインターネットにつながる時代は、(5Gとかもあって)前進することはあれ、後退することはないでしょう。

だとすれば、デジタルマーケティングもそう言うところへ進んでいかなければならない。

…「デジマが重要」ってのはそういうことも含めてのことなんじゃないか/そうあって欲しい。

それが読み終えての漠然とした感想でした。

続編、期待…です。:読書録「用心棒」

・用心棒

著者:デイヴィッド・ゴードン  訳:青木千鶴

出版:ハヤカワミステリ(Kindle版)

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「二流小説家」の作者によるハードボイルドアクション。

…って、「二流小説家」は読んでないんですけどねw。どっかで書評を読んで、「面白そう」と思いまして。

 

個人的には「大好物」w。

いやぁ、楽しませてもらいました。

路線的にはジャック・リーチャーかな?あそこまで「圧倒的」じゃないけど、本作の主人公も強いっちゃあ、強い。

あと多彩なキャラが登場して、どっか全体的にオフビートなノリもあるのは「エルモア・レナード」風。

この塩梅が、僕にはフィットしました。

 

ちなみにメインのヒロインはFBI捜査官の方でしょうが、僕としてはロシア人金庫破りが「お気に」です。

明らかに「続編」(シリーズ化?)を意識したオチになってますので、2人のヒロインの再登場も含め、今後の展開も期待できるかな?

もしかしたら「映画化」も…。それにはストーリーがちょい地味なんで、腕のある監督と味のあるキャスティングが必要でしょうがね(「ゲット・ショーティ」のように)。

 

しつこいですがw、本作も「読み上げ機能」で読了(ほぼ100%)。

「カササギ殺人事件」もそうでしたが、ミステリーは専門語とかもないんで、向きますね、「読み上げ」には。(文学小説と違って、「文体を楽しむ」ってのもないし)

誤読はバンバン出てきますが、もう慣れましたw。

なんかKindle比率がまた上がりそうな気が…。

 

アニメ絵のキャラがどうも…:映画評「ハーモニー」

独特な雰囲気の「オチ」が中々読ませる原作。

http://aso4045.hatenablog.com/entry/20170514/1494763967

 

アニメ化されてのは知ってたんですが、Nefflixにあるのを知って、観てみました。

 

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<harmony/>


う~ん、どうかな~。

SF的な表現は結構好きなところもあるんですが、どうにも主人公たちのアニメアニメしたキャラ造形が…。

脇役はまた違うテイストなので、「意図して」なんでしょうが、個人的には最後まで違和感を捨て切れませんでした。

ストーリーは「伊藤計劃」なんで、「絵柄」に対する好みの差だけなんでしょうがねぇ。


「虐殺器官」も「屍者の帝国」もNetflixに落ちています。

「屍者の帝国」はまだ原作を読んでないので、観るなら「虐殺器官」かな。

こっちの方のキャラ造形は(予告編を見る限りは)本作よりは感覚的にフィットしそうです。


まあ、「すぐに観よう」って気分にはなってないんですけどねw。

ビジネス書を「読み上げ機能」で。

「カササギ殺人事件」「ハロー・ワールド」と、小説をSiriで読み上げてもらったので、今度はビジネス書を試してみました。

「劣化するオッサン社会の処方箋」

http://aso4045.hatenablog.com/entry/2018/11/04/140847

 

論理的文書の方が「読み上げ」には向くんじゃないかなぁ、と思ってたんですけどね。

 

基本的な誤読のパターンは小説でもビジネス書でも同じようなもの。

まあ「専門語」は知らないと脳内補完が効きづらいので、チラ見の頻度はビジネス書の方が多いかな。

ただ確かに文章は論理的なんで、文脈からの補完はビジネス書の方が上。

…一長一短。

 

…なんだけど、決定的なのが、

 

図表は読み上げできない。

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当たり前っちゃあ当たり前ですが。

読み上げは図表のところでピタッと止まっちゃって、ページを先に進める必要があります。

 

この本はそれほど図表が多くないからさほど手間ではなかったですが、図表が満載のビジネス書なんかは読み上げには向きませんな。

翻訳のビジネス書は文章主体の作品が多いからイイかもしれませんが、日本のは事前確認が不可欠…ということでしょう。

 

読み上げ機能は今後も活用していこうと思ってるんで、ココは要注意。

 

 

「教養」と「挑戦」。まあね〜。:読書録「劣化するオッさん社会の処方箋」

・劣化するオッさん社会の処方箋   なぜ一流は三流に牛耳られるのか

著者:山口周

出版:光文社新書

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「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」の作者の新作。

http://aso4045.hatenablog.com/entry/2018/08/02/092220


割とキャッチーな(言い換えればウケ狙いのw)題名の割に結構しっかりした内容だった前作同様、本作も「掴み」はウケ狙いミエミエながら、中身はそれなりに読まされる内容になってます。

そういう意味じゃこういう売り出し方は、ちょっと勿体無いな~とは思ってるんですが、やっぱ売れるんですかね、こういう方がw。


本書で定義されている「オッサン」は、

<単に年代と性別という人口動態的な要素で規定される人々の一群でなく、ある種の行動様式・思考様式を持った「特定の人物像」として定義される>

とされ、

<1:古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する

2:過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない

3:階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る

4:よそ者や異質のものに不寛容で、排他的>

という人物像を想定しています。


まあ、そういう意味じゃ特に50代・60代のオヤジを指してるわけじゃないし、実際作者もそのことは念押ししてるんですが、一方でそういう年代層にその手の振る舞いが「目に付く」のも確かw。

ここら辺については以下のような「世代」区分を作者は提示しています。


戦後から50年代、60年代、70年代:教養世代

80年代:知的真空世代

90年代以降:実学世代


で、この「80年代」に社会人としての基礎を築いた世代が、今、50代・60代となって組織(会社)の中枢を握るようになり、コンプラ、ハラスメント系の諸問題を起こしたり、中枢から外れた人が社会問題化したり…というのが本書のベースです。


「80年代」に社会人としての基礎を築いた世代


僕やん!


本書には「組織は必然的に劣化する」ことについて語られていて、それは「出世という螺旋階段」を降りたものにとっては、ある種の心地よさもあるんですがw、個人的には

「そこは色々じゃないかな」

とは思いましたけどね。


本書のメインはむしろ若い層に「そうならないようにどうしたらいいか」ってとこに比重があるんですが、なっちゃた層(w)については、「時代の流れに劣化しない知識・経験の習得=教養」と、「1ランク上を目指す挑戦の継続」が勧められています。

ここら辺、

「ちょっと矛盾するとこも…」

とは思わなくもないんですがw、まあでも基本的には「そうだろうな」と思います。

なんとか「そうありたい」と意識してるつもりはあります。


僕らの後の世代である「実学世代」が本当にその成果を発揮できるのかどうか?


ここはなんとも言えません。

ただ明治維新や終戦直後を持ち出すまでもなく、「上のオッサンが幅をきかせてたら、発揮できるもんも発揮できない」のは確か。

下の世代に「経験」を積ませるよう、権限を委譲しつつ任せながら、自らはサーバントリーダーとして「分からないながらも」支援に徹する。

組織における振る舞いとして我々の世代に求められてるのは、こういうことです。


マジでそうじゃないと、この変化の激しい時代において、先端的な舵取りはできんでしょう。

…つうことで、「小泉進次郎、もっと頑張れ」という話に、またなっちゃうんですけどねw。

(個人としてのスタンスの取り方は、これはまた個人として思うとこありますが)