鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

ゴースト(自我)って何?…なんて考えてどうなるのよ:映画評「イノセンス」

事故で電車が止まっちゃって、その間に思いついて観ました。
もう2、3回は見てるんで、今更感想っていうのはいいかな。

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今回思ったのは、「引用と模倣」がちりばめられて、その「ほのめかし」で、なんだか雰囲気が作り上げられてる側面もあるこの作品。
その「引用「やら「模倣」やらを解析したり、考えたりするのが楽しかったっていうのもあるんですけど、考えてみたら主人公たちはAIと外部接続されてるからそういった引用とかは瞬時に理解できるはずなんですよね。
もちろんなぜその引用を持ってきたのかって言う部分にゴースト(自我)があるのかもしれませんが、でも引用である以上はオリジナルじゃないんだから、結局は文脈そのものもどこからからの借り物になると言うことも…


もしもっと生成AIが身近なものになってきたとしたら、僕らもまたこの映画を見ながらキャラクターたちが引っ張り出してくる引用やら暗喩やらを即時に解説してもらいながら鑑賞する。
…なんてこともできるのかもしれません。
そうなると、それらが醸し出す「ほのめかし」もはぎ取られて物語は、もっとストレートなものになるのかも。
まぁ、そうなると、押井作品の魅力の1つがなくなっちゃうとも言えるかもしれませんけどねw。


暦本さんと落合さんの対談で、近代文学の「自我」に関して、AIのことを考えていくと、そういうものはあまり重要なものじゃないようにも思えてくるみたいなことを言ってるところがあったと思いますが、なんだかそのことを映画を見ながら思い出しました
少佐がネットの海に溶けていった後も、バトゥは人間としての自分て言うものを捨て切れずにいるんでしょうね
でも、人間であることも、人形であることも、本質的な差がないのだとしたら、人間のままにいることも、また単なる選択の結果でしかないのかもしれません。
まぁ犬がいる限りは、人間はやめれないかw。


「攻殻機動隊」については、個人的には少佐がネットの海に溶けていた後の物語を見てみたいなといつも思っています。
また新しいアニメシリーズが出されるようですけど、やっぱりネットの海に溶ける前の物語なんですよね。
難しいのはわかるけど、誰かチャレンジしてくんないかなぁ。