鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

極めて<現代的>なテーマになってるかも:読書録「幼年期の終わり」

・幼年期の終わり

著者:アーサー・C・クラーク  訳:池田真紀子

出版:光文社古典新訳文庫

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SFの傑作古典。

…なんですが、お恥ずかしながら、読んだことなかったんですよ。ストーリーは知ってますけど。

 

ディーヴァーを訳している池田真紀子さんの訳文はすごく読みやすくて、最後までスラスラッと読むことができました。

(もともと独立した短編をベースにしている)「第1部」が一番出来がいいですかね。SFとしての切り口と、哲学性・叙情性が程よいバランスで成立していると思います。

やや「種明かし」モードの入る「第2部」「第3部」は、物語としての「面白さ」はあるけど、ちょっと鼻白むトコも。この関係は「2001年宇宙の旅」のキューブリックとクラークの対立を思い出させます。

ただそれでも「人類の終焉」に向かうシーンのエモーショナルな部分と叙情性は胸に迫るものがあります。

「もっと早く読んどきゃ良かった」

これは間違いなし。

 

いわゆる「異星人による人類の監視・家畜化」「人類の超進化」をテーマにした作品ですが、<今>読むと、新しい課題に重ねて読むことも出来ます。

「シンギュラリティー後のAI」

ですね。

 

異星人(オーヴァーロード)は圧倒的な科学力で人類に対峙し、それを背景として地球上に「平和」と「繁栄」をもたらすのですが、

その導入である「第1部」、

繁栄下での地球の社会的状況を描く「第2部」、

そこへの不満と逸脱を描く「第3部」(前半)の描写は、

人類を超える合理性と論理性から、人類に理解出来ない<判断>や<結論>を打ち出すと言われる「シンギュラリティ後のAI」によって運営される人間社会のあり方を想像させます。

一言で言えば「ビッグブラザー」なんですが、<圧政>ではなく、<合理性>に基づいた善導によって社会がどうなり得るか。

クラークの想像力はそれを描いてくれています。

(もっとも意思疎通が可能なオーヴァーロードに対して、シンギュラリティ後のAIは「人類には理解不能」と言われてますがw)

 

その果てに「幼年期の終わり」が訪れるか否か。

まあそれは分かりませんし、だいたい「シンギュラリティ」が来るかどうかも分からない。

でもAIを恐れるだけでなく、その活用が社会に何をもたらし、何を警戒すべきなのか。

そういうことを考える上に置いてSF的想像力が重要なことを、このクラークの古典は思い出させてくれます。

人類が月にも達成していない時代に書かれた小説が、<今>に至るまで読む者を刺激すると言うことこそが、<人間>が持つ力を証明しているとも言えるかも。

 

…それすらオーヴァーロードの差し金かもしれませんが…w。