鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

チャラ男の野望と苦悩と挫折:映画評「マ・レイニーのブラックボトム」

「ブルースの母」と言われる「マ・レイニー」を主人公した戯曲の映画化。

Netflixオリジナルです。

主人公はもちろん「マ・レイニー」なんですが、実質的な主人公はトランペッターの「レヴィー」で、これが遺作になるチャドウィック・ボーズマンが演じています。

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痩せてるんですよね、チャドウィック。

今だとそれが「病気」故とわかります。

ただ作品としても、若さゆえの「野望」と、黒人としての「苦悩」の間でギリギリのところに立ている青年の姿として、これはこれでばっちりハマってる感じも。

唐突なラストにリアリティも与えています。

登場した時には、「なんちゅうチャラ男を演ってるんや」と、ちょっと呆れましたがw。

 

あ〜、ホントに惜しい役者を亡くしました…。

 

 

<以下、ネタバレを含みます。観るつもりがある人は読まないでください。良い映画だったと思いますよ>

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「ブルース」を体現し、白人社会やマイノリティとしての人生を生きる「術」を身につけたマ・レイニーに対して、レヴィーは「新しい音楽」を武器に対抗します。

レズビアンであるマ・レイニーの恋人をめぐる鞘当てなんかもあるんですが、本質的には「音楽対決」でしょうね。

「ブルース」のマ・レイニーに対して、レヴィーは「ジャズ」…かな?

 

しかしながら、当時のマ・レイニーは絶頂期。

自らの歌でレヴィーを退けます。

マ・レイニーにクビにされ、白人の裏切りにあい、行き場を失ったレヴィーは、自らの過去に囚われ、破滅の道を…。

そして彼の音楽を剽窃した白人によって、マ・レイニーもまた、「過去」のものへと押しやられていく…

 

大筋はこんな感じでしょうか?

 

 

搾取される側にいるものが、同じく搾取される側にいるものを退けるが、最後に笑うのは搾取する側。

なんともやり切れない物語です。

と同時に、極めて現代的でもある。

そこが本作が「今」作られる意味なんだと思います。

 

 

しかしまあ、ほんと、チャドウィック・ボーズマンは惜しいかった…。

彼自身の物語が、このやり切れない構図を打破する一つの「ストーリー」になる可能性すらあったのに…。

 

 

そんなことを改めて考えさせられる映画でもあります。

賞レースにも顔を出してるようですね。

どうなるかな?