「ブルースの母」と言われる「マ・レイニー」を主人公した戯曲の映画化。
Netflixオリジナルです。
主人公はもちろん「マ・レイニー」なんですが、実質的な主人公はトランペッターの「レヴィー」で、これが遺作になるチャドウィック・ボーズマンが演じています。
痩せてるんですよね、チャドウィック。
今だとそれが「病気」故とわかります。
ただ作品としても、若さゆえの「野望」と、黒人としての「苦悩」の間でギリギリのところに立ている青年の姿として、これはこれでばっちりハマってる感じも。
唐突なラストにリアリティも与えています。
登場した時には、「なんちゅうチャラ男を演ってるんや」と、ちょっと呆れましたがw。
あ〜、ホントに惜しい役者を亡くしました…。
<以下、ネタバレを含みます。観るつもりがある人は読まないでください。良い映画だったと思いますよ>
「ブルース」を体現し、白人社会やマイノリティとしての人生を生きる「術」を身につけたマ・レイニーに対して、レヴィーは「新しい音楽」を武器に対抗します。
レズビアンであるマ・レイニーの恋人をめぐる鞘当てなんかもあるんですが、本質的には「音楽対決」でしょうね。
「ブルース」のマ・レイニーに対して、レヴィーは「ジャズ」…かな?
しかしながら、当時のマ・レイニーは絶頂期。
自らの歌でレヴィーを退けます。
マ・レイニーにクビにされ、白人の裏切りにあい、行き場を失ったレヴィーは、自らの過去に囚われ、破滅の道を…。
そして彼の音楽を剽窃した白人によって、マ・レイニーもまた、「過去」のものへと押しやられていく…
大筋はこんな感じでしょうか?
搾取される側にいるものが、同じく搾取される側にいるものを退けるが、最後に笑うのは搾取する側。
なんともやり切れない物語です。
と同時に、極めて現代的でもある。
そこが本作が「今」作られる意味なんだと思います。
しかしまあ、ほんと、チャドウィック・ボーズマンは惜しいかった…。
彼自身の物語が、このやり切れない構図を打破する一つの「ストーリー」になる可能性すらあったのに…。
そんなことを改めて考えさせられる映画でもあります。
賞レースにも顔を出してるようですね。
どうなるかな?