これも「ディズニー+」にて。
ますます解約できん…w。
夫を亡くし、一緒に住んでいた地も離れざるを得なくなった主人公。
短期の肉体労働を渡り歩いて稼ぎながら、キャンピングカーでアメリカ中西部を彷徨する。
登場する「ノマド」のほとんどが<本人>であり、演技ではない彼らの有り様や語りが、キャンプングカーで彷徨する人々(ノマド)の思想や感傷をリアルに伝えてきます。
同時に彼らを取り巻くアメリカ中西部の風景たち。
この<美しさ>が、作品そのものを「詩」のように彩っています。
作品としても、ストーリーらしきストーリーはほとんどないですしね。(それでも退屈しません)
原作(「ノマド」)の方には、もう少し政治的な主張はあったようです。
渡り歩く肉体労働業務の「搾取」的なこととか、「ノマド」になっている人たちが結局は白人高齢者が中心であることや、アメリカ中西部の中間層が崩れるつつあることとか…そんなことに言及されてるんでしょうかね、原作の方は。
(なかなか読む気にはなれないんですけど)
そういう意味ではこの映画自体のポエティックでセンティメンタルなところこそが、映画への批判になり得るのかもしれません。
まあ、これをみて、
「<ノマド>になりたいなぁ」
とは思わないかもしれませんが(労働や生き方の厳しさは表現されています)、それでもこの<美しさ>には惑わされそうになりますからw。
「想い出を抱えて彷徨する」
その生き方そのもの否定することはないし、そういう生き方があってもいい。
でも追い込まれて、「そういう生き方しかできなくなった」のだとしたら…。
テーマの切り方の問題かもしれませんがね。
(登場する「ノマド」の多くが「女性」です。そのことが作品の「語り口」に影響しているところもあるのかも)
新たに自分を迎え入れてくれる「家」を出て、想い出の「家」と「町」を再訪し、さらに彷徨う道に出ていく主人公。
そのまま「想い出」を抱えて彷徨し続けるのか
新しい「家」に生きる場所を見つけるのか
その行き先は作品では示されていません。
どちらでもいい。
でもまあ、リアルに考えたら、結構キツイよね。
こういう生き方は。
#映画感想文
#ノマドランド