・青少年のための小説入門
著者:久保寺健彦
出版:集英社
ヤングアダルト本のオススメで挙がってたのを見かけて、中2の息子のために購入。
…が、親が買ってきた本をホイホイ中2男子が読むわけもなくw、しばらく放置されてたら、小6の娘が読んで、
「面白かった」
刺激を受けて息子が読んで。
「面白かった」
…で、読んでみました。
いやぁ、面白かったw。
表紙が「バクマン。」の小畑健で、二人組作家の話で、出版が「集英社」。
「小説家版バクマン。」?
って思うのは当然だし、それが狙いでもあるんでしょうが、思ってる以上に「小説」でした。
もっとも僕は「バクマン。」は実写版映画でしか知らないんで、比較する資格はないんですけど、少なくとも「便乗モン」ではないですね、これは。
「小説家」を題材にした作品としては、最近では「雨あがりのように」(マンガと映画を見てます)がありましたが、作品としてはノレた一方で、そこで描かれる「小説家像」には「?」だったんですよ、 正直。
だって漱石と芥川龍之介なんやもん、出て来るのが。
いや、勿論それが悪いわけじゃないけど、「小説家を目指し、書き続ける」人物像を描くなら、もう少し「幅」が必要でしょう。(ま、それ自体が、マクガフィンなのは分かってますけど)
その点、本作はしっかり背景となる「小説」を選んでます。
巻末の<主な登場作品>に上げられてるのはこんな感じ。
本作は「なんとなくクリスタル」の発表翌年からの数年間がメインの舞台となりますから、その時代背景と、ヤングアダルトいうジャンルを考えると、かなり絶妙なんじゃないかと、個人的には思います。
それぞれの作品の取り上げ方も、単なるマクガフィンじゃなく、シッカリと踏み込んで作中に登場しています。
ここまで「小説」のことを考えながら「研究」するって…いや、ほんとやったことないっす。
ストーリー自体はちょっと古くさいかもしれません。
不良、ヤクザ、アイドル、そして小説。
この道具立てそのものが「80年代」臭くって、ある意味アナクロ。
「小説」や出版業界をめぐる環境なんかを考えると、「現代」では成立し得ない物語でもあるかな、と。
<「(前略)この先、小説はもっとつまらなくなるからね」
(中略)
「マンガにはもう追いつけない。ゲームにも水をあけられる一方だ。娯楽のチャンネルは増え続け、小説の存在感は減り続ける。さらに、別の要素も加わる。私の予測では、日本は間もなく未曾有の好景気に突入し、その後長く不況に苦しむはずだ」
(中略)
「(中略)経済が右肩さがりに転じたとたん、娯楽分野の規模は急激に縮小する。その中でもっとも割りを食うのが、小説だ。限られたパイの奪いあいでは、地味でとっつきにくい小説は、どうしたって不利になる。不況が慢性化したら、壊滅的なダメージを受ける。なりふり構わず売りあげを追い求め、話題性重視の、薄っぺらな、小説の名に値しない小説もどきが蔓延するようになり、関係者は全体の利益を考えて、そんな作品でも称揚せざるを得なくなる。さぞ息苦しいだろう」>
作中の「敵役(?)」の評論家のセリフ。
これがまあ、作者の「現状認識」なんでしょうね。
否定しきれません。
それでもこういう小説を小学生・中学生が読んで、
「面白い」
と言う。
「小説」って、「小説を読む」って何なんでしょうね。
そのフォーマットにこだわること自体に意味があるとは思えないんですが、なんだか不思議な想いはあります。
ただまあ、「純文学」と言われる分野に関しては、すでにマーケットとしてはマス・ビジネスの世界からは滑り落ちているようにも思います。
芥川賞とか直木賞とかですら、ドンドン、世間的には話題性すらなくなって来てるように見えます。
僕自身はそのことについては、
「止むなし」
と考えていますがね。
それでも「小説」がなくなることはないでしょう。
時代や環境に影響され、形を変えながらも、「文字で書かれたフィクション」が人を魅了し続けることは間違いないんじゃないか、と。
本書を読んだ後、感想を言う子供達の素振りにもそれを感じました。
…とは言え、「主な登場作品」の方にはまだ手を出そうとはしないんですけど、二人ともw。