鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「知性とは何か」

・知性とは何か
著者:佐藤優
出版:祥伝社新書

知性とは何か(祥伝社新書)

知性とは何か(祥伝社新書)


「安保法制」の審議が始まって以降、安倍政権の統治能力には「?」と思わざるを得ない局面が何度か出てきています。
目に見えたターニングポイントは「自党が推薦した憲法学者に『違憲』と断言された」ことでしょう。
実質的な部分としては(本書でも指摘されていますが)「公明党との合意事項」(実質的に集団的自衛権の行使のハードルを上げてしまっている)に顕われていますかね。
それ以降の、強行採決前の「国民の理解が進んでいない」旨の安倍首相自身の発言、若手議員の勉強会での「メディア懲らしめ論」、「国立競技場」をめぐる右往左往等、「大丈夫かいな?」って雰囲気が出てきています。
今日(あの)「読売新聞」で、「不支持率が支持率を上回った」という報道がありましたが、そこらへんの世間の懸念が表明された結果としか思えません。


僕は個人的には「憲法改正派」です(ただし「九条」の精神は現代的な形で残したいと考えています)。
「安保法制」についても、必要性について異論を唱えるものではありません。
そういう意味では安倍政権の方針そのものについては一定の理解はあるつもりなんですが・・・この「流れ」はいただけませんね。
橋下徹氏だったかが、「法制の中身よりも、その法律を運用する政府サイドの統治能力が問題」といったことを発言してた覚えがあるんですが、その論で行けば「この法制を作ったあとの、安倍政権の運用能力に懸念がある」ってのが、今の僕のスタンスです。
(「民主政権よりはまし」?
いや、「マシ」とかどうかで国の方向性を決められちゃたまりません)


個人的に一番懸念を持ってるのは、「国民の理解が必要」というところから安倍政権が始めた「説明」のレベルの低さです。
ヒゲの議員のネットでの説明も、女子高生に揶揄されるような内容でしたが、安倍氏自身の説明も「どうよこれ」のレベル。少なくとも「アソウさんが殴られて」・・・ってのはないんじゃないでしょうか?
「分かりやすく」?
しかしあまりにも想定しているレベルが低すぎ、馬鹿にしているとしか思えません。
僕が安倍政権に感じる「反知性主義」はこんなところに表出しています。


<反知性主義とは、実証性や客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」だ。>


という佐藤氏の定義からは、「歴史認識」における安倍政権の「反知性主義」が直接批判される向きがありますが、それはそれとして、この説明能力の低さは一体どこから出てきているのか、と。
「広く国民の皆さんに理解していただくには」?
いや、国民の側にも「理解」するために勉強する努力が求められますし、そこまで馬鹿にされる水準に国民の側もないんじゃないですかね。だからこその「不支持率」と思うんですが。
(もちろん、「反知性主義」的アプローチの方が、「ヤンキー」的な社会土壌には受け入れやすいってのはあるかもしれませんが、人間、「馬鹿にされてること」には敏感ですし、多くの人は「向上心」を持っていると思いたいです。
ペダンティックな上から目線の「知性至上主義」には腹も立ちますが、「論理性」「合理性」を放棄するようなアプローチは結局「自滅」につながっているとしか思えません)


ま、本書自体は「反知性主義」の説明書としては、やや偏ってるかもしれませんし、ちょっと「上から目線」チックな部分も・・・w。
「読書」の重要性については「100%」賛同しますが、個人へのアドバイスとしては「あり」だとしても、社会全体として「反知性主義」にどのように抗していくのかって点については今一つ明確な方向性が示されていません。
ある種の「エリート主義」(アメリカ的ではなく、ヨーロッパ的な)がその答えの一つなのかもしれませんが、それをどうやって日本社会に植え付けていくのか。
なかなか難しいところです。
(今の安倍政権の支持率動向なんかを見ると、そういう流れに対する「危機バネ」は社会に内在してるような気もしますが、忘れっぽいってのもありますからねぇ。戦前の流れなんかを考えると、とても安心できません)
「反知性主義」は「アメリカ発」との意見も聞きますから、そこら辺は別の本を読んでみようかなとは思っています。


いずれにせよ、現時点における日本/安倍政権の「反知性主義」的傾向についてザックリと考えてみる上では本書は向いているかと。
正直言って、今更「柄谷行人」氏の「柳田国男」論を読む気にはなれないんですがw、そういう知的トレーニングや哲学的/論理的思考訓練を受けた人物の意見に対しては「敬意」を払いたいってのが僕の意見です。
そもそも「人類の歴史」ってのは、そういうところの積み重ねなんじゃないですかね?