・ねじまき鳥クロニクル 第1部・泥棒かささぎ編 第2部・予言する鳥編 第3部・鳥刺し男編
著者:村上春樹 ナレーター:藤木直人
出版:新潮社(audible版)
村上春樹さんの長編は時間を空けて何回か読むんですが(最近の「騎士団長殺し」と新作「街と、その不確かな壁」はまだ再読できてないけど)、この「ねじまき鳥クロニクル」は長く再読してきませんでした。
「機会がない」んじゃなくて、明確に「避けてきた」。
なんかシンドかった記憶が、読み終えた時からズーッとあったんですよ。
読んでて不愉快な気分になったというか…。
でもまあ村上春樹作品がaudibleで次々とオーディオブック化されてて、聴いてみると結構新しい見方もできるようになったりもしてるので、気合を入れてw、聴いてみることにしたわけです。
長いですけどね。
結論から言うと、
「聴いてみて良かった」。
村上作品としては、かなり気合が入っているし、作品としてもレベルの高いことが確認できたように思います。
…なんだけど、やっぱりシンドかったなw。
「好きな作品」とは言えませんね、やっぱり。
最初に読んだとき、「う〜ん…」と思った要因は、今振り返るとこんなところだと思います。
①物語の舞台が限定されてて(自宅と空き家と井戸がほとんど)、動きがなく、主人公の行動が受動的すぎるように感じた。
②たくさんの女性が出てきて、それぞれがかなり性的な意味合いを持って主人公に近づき、少なからず性的関係を持つのが「やりすぎ」感を感じさせた。
③結構、主人公の妻である「クミコ」のキャラクターが気に入っていたので、彼女が「闇」に囚われ堕ちていく設定が面白くなかった。
「①」は、それまで読んできた村上春樹作品に比べて、主人公の物語が「内面的」(横ではなく縦)なものになってきたことに戸惑ったってことかな?
今回聴いてみたらほとんどこの点は気になりませんでした。
むしろ時間軸・空間軸を自在に行き来して、激しい動きを感じたくらいw。
「②」はまあ、笠原メイの言うとおり。
「周りに女の人が多すぎない?」
これは今回も思いました。
村上作品は性的なことを取り扱う側面が多いと言われますが、その中でも「ねじまき鳥クロニクル」は突出してませんかね。
この作品を書いて、一応は満足したのか、以降の村上作品はここまでではないようにも思いますw。
「③」については「<絶対的な悪>との戦い」という村上作品の一つのテーマに馴染みきれず、その狭間で翻弄されるクミコの設定が不満だったってことでしょうか。
出版されたのは1・2部が1994年4月。3部が95年8月。
僕は29歳から30歳ですね。
10代の純情青年…では当然なくなってるんですけど、結婚はまだしてなかったから、もしかしたら「夫婦生活」ってものに理想があって、それを刺激されて不快に感じたのかしらん。
まあ、今回も楽しくは聴けませんでしたけどね。そりゃまあ。
今回、新たに思ったのは、
「主人公の<特別性>みたいなトコは、チョット厨二っぽいかも」。
<綿谷ノボル>という「絶対悪」に対抗しうるのが、唯一主人公だけなわけですからね。
その「絶対悪」と戦い、妻を取り返す…という流れからすれば、主人公もかなり「特別」な存在。
それが「普通の人」っぽい自己認識で語るあたり、何やらチート系主人公のラノベを思わせる…w。
そりゃまあ、深みやら語り口やら描写やらは全然違う水準ですけど。
<綿谷ノボル>のキャラクターは、今の日本の社会状況なんかを考えると、より納得感のある存在になってるかもしれません。
リベラルなら「橋下徹」「ひろゆき」「安倍晋三」「ホリエモン」「ドナルド・トランプ」…あたりの名前を出してきてもおかしくないかも…。
彼らが「絶対悪」とは思わないけど、ある種の「懸念」が30年近く前に提示されていて、それを想起させる「現在」を思う人はいるんじゃないかな。
その当否はなんとも言えないけど…。
(村上春樹の「絶対悪」という概念については僕は何とも言えないところがあります。
確かにノモンハンなんかのことを考えると「そうだよな〜」とは思うんですが…。
もちろん「絶対悪としなければならない」存在というものはある考えてはいるんですけどね)
村上春樹作品のaudible。
やっぱりいいですね。
長年、なんとなく気にかかっていた「ねじまき鳥」を再読できたのは嬉しいw。
他の作品も楽しみです。
#読書感想文
#ねじまき鳥クロニクル
#村上春樹
#audible