鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

ChatGPTでAIの実装が実感されるようになったタイミングにドンピシャw:読書録「魔女と過ごした七日間」

・魔女と過ごした七日間

著者:東野圭吾

出版:角川書店

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東野圭吾の「ラプラスの魔女」シリーズ、第3弾。

「ラプラスの魔女」、個人的にはピンとこないところも少なからず・・・なんですが、なぜか3作目もソッコーで買っちゃいました。

妻が東野圭吾作品好き…ってのもあるかな?(買った後、妻に訊くと、このシリーズは「そうでもない」とのことでしたがw)

 


AIによる監視システムが実装化されてきている近未来の日本。

かつて警察の「見あたり捜査員」だった男性が殺される。

残された息子は、父の恋人と娘(自分の妹)と出会い、妹を診ている不思議な女性と知り合う。

その女性に導かれ、少年は父が殺された事件を探っていく…

 


というお話。

この不思議な女性が「ラプラスの魔女」という訳。

彼女の「能力」を武器にして、捜査を進め、「闇カジノ」にまで潜入する冒険譚が描かれています。

彼女の能力は推理面で働くわけじゃないし、事件に影響するものでもないので、そういう能力を使った冒険ストーリーって感じです。

 


さすが東野圭吾さん。

とにかく「読ませる」のは確か。

スルスル〜っと最後まで楽しく読むことができました。

シリーズものとして、1作目の「悪魔」が登場するかな…と漠然と予想してたんですが、そういうのは全くなくてw、作品としては独立して成立しています。

(「魔女」の誕生背景については「ラプラスの魔女」を読まなきゃ…ですが)

1作目が「許せる」人なら、楽しめるんじゃないかと思います。

 


冒険譚は冒険譚として、作品のテーマみたいなものがあるとしたら、「テクノロジーの進化と個人のプライバシー」というのが根底にはあります。

「近未来」日本ではDNA鑑定が急速に進歩し、監視カメラによるAIを使った顔認証も広く行われている状況。

その中でどこまで個人情報を国家組織が握ることを容認できるのか…という点です。

 


もちろん東野さん(そして主人公たち)はそのことに危機感を覚え、反対するのですが、一方でこういう意見にも言及しています。

 


<「お前に娘がいたとする。十代のかわいい女の子だ。ある日、そのこが死体で見つかった。身体には乱暴した形跡があった。唯一の手がかりは犯人のDNA。さて、親のおまえはどうだ?さっさとデータベースと照合して半にを突き止める、もしデータベースにないならゲノム・モンタージュを作り、顔認証でIDナンバーカードから捜し出せーそういうんじゃないか?もう一つ、例を挙げよう。おまえの子はレイプ魔には襲われなかったが、重い病気にかかったとする。治療するには移植しかないが、適合条件が厳しい。だがDNA型データベースを検索することで適合者を見つけだせた。おかげで無事に移植を受けられ、子供は元気になった。さ、それでもおまえはその技術に感謝しないか?」>

 


難しいところではあるな、と。

ただ「技術」は「技術」でしかない。

「ラプラスの魔女」の能力もまた、使い方によっては毒にも薬にもなる(1作目はそういう話だったかな)。

要は「どう使うか」。

そしてその「使い方」において<恣意性>や<濫用>が排除できるのかどうか。

 


<国家が作るのは、国民をコントロールするのに都合のいい法律だけだ。DNAもIDナンバーカードも、国民を管理するツールにすぎない。(中略)頼るのはAIなんかじゃない。自分の頭だ。>

 


多分本書執筆の契機には「マイナンバーカード」の推進があったんでしょうね。

そして出版されたタイミングでChatGPTの話題が盛り上がって、「AI」の実装にも脚光が当たるようになっている。

ナカナカ東野さんというのは時勢を読むのにも長けてらっしゃるようです。

 


…とか言って、僕はマイナンバーカードも作ってるし、ChatGPT(bingAI)も使ってるんですけどw。

「所詮ツール」

なのは確か。

それに対してどういうスタンスをとるか…かな?

 

 

 

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