・オンブレ
著者:エルモア・レナード 訳:村上春樹
出版:新潮文庫
村上春樹が訳したエルモア・レナードの初期西部小説。
中編「オンブレ」と短編「三時十分発ユマ行き」の2作が収録されてます。
どっちも作品も映画化されているんですが、不勉強ながら僕はどちらも見ていません。(「オンブレ」はポール・ニューマン主演「太陽の中の対決」、後者は「決断の3時10分」「3時10分、決断のとき」と2回映画化されています。最近のはクリスチャン・ベールとラッセル・クロウじゃなかったっけ)
最近新訳読んだ「ラブラバ」が、村上春樹が後期エルモア・レナード作品で好きな作品だとか。
「ラブラバ」なんかに比べると、この2冊のストーリーはわりとスッキリしてると思います。
登場人物たちも、後期の作品ほどはベラベラ喋ったりはしませんw。
それでも、
主人公が自分の考えをしっかりと持った「ヒーロー」であること、悪役も含めて魅力的な人物造形がされ、型にはまった書割なんかじゃなくて、生き生きと描かれていること、内面描写がないままに決断される主人公の行動でストーリがドラスティックに動いて行くこと
…なんかは後期の作品にも通じてると思います。
「オンブレ」には主人公と思想的に対立する立場として「マクラレン」と言う娘が設定されています。ヒューマニズム的に「人を助ける」ことを主張する彼女に対して主人公は一定の距離を置いています。
その立場の違いがラストに鮮明に現れ、彼女のヒューマニズムの浅さが赤裸々になるのですが、主人公はそれを非難したりはしません。むしろ彼女に対して通じる気持ちを持ってるようにも振る舞います。
「マクラレン」はアパッチにさらわれた過去を持っており、そこで非常に厳しい体験をしています。
「人を助ける」と言う彼女の振る舞いは、「過去の自分を助けて欲しい」と言う切実な思いの裏返しなのかもしれません。
その思いが、主人公には通じているのかもしれないですね。似たような経験の中で、「確固たる自分」を作りあげたのが主人公であると言う点からも。
「オンブレ」も「三時十分発ユマ行き」も、なぜ主人公が最後にその行動を選択したのかは、想像するしかありません。
普通の人間であれば、選択しない行動を選択する。
その「正しさ」ゆえに、彼らはヒーローであり、物語は「正しく」決着します。
まぁ、出来過ぎだろうっていや、その通りなんですけどねw。
でも、この「痛快さ」こそがレナード。一言で言えば、
「男やね〜!」
しばしその世界を堪能できる作品です。