・他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ
著者:ブレイディみかこ
出版:文藝春秋
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」で紹介された「誰かの靴を履く」=「エンパシー」と言う概念について、作者が標榜する「アナーキズム」と絡めながら論じた…というか、連載なんで、時事ネタも絡めつつ、ちょっとエッセイ風に…って作品。
「ぼくは〜」で多くの人がエンパシーについて感想で触れてたらしいんですが、僕は、
「え?そんなこと書いてあったっけ?」
って感じでしたw。
ま、探してみて、「あ、これか」…ではありましたけどね。
テーマとしては「エンパシー」を掲げているものの、連載なので(「文學界」20年4月〜21年4月)、論理的に組み上げて…って言うよりは、その時点での世の中の流れ(メインはもちろん「コロナ」)と絡めつつ、考えてみると言う仕立てになってます。
まあ、正直言って「現時点でコロナ対応を評価する」ってのはチョット無理があるとは思いますが。
ただ「現時点で<エンパシー>と言う観点から考察してみると」ってのは、それはそれで面白くはあります。
まず重要なのは「定義」ですね。
「エンパシー」については、作者が取り上げているのは正確には「コグニティブ・エンパシー」。
いわゆる「シンパシー」が感情的な「共感」を意味するのに対して、
<「どちらかといえばスキルのようなもの」(中略)「その人物がどう感じているかを含んだ他者の考えについて、より全面的な知識を持つこと」(中略)息子風にいえば「他人の靴を履いて」他者の考えや感情を想像する力であり、その能力をはかる基準は想像の正確さだと心理学の分野では定義されている。>
本書で作者が「エンパシー」と関連づけて定義しようとしている「アナーキー」についてはこう。
<その本来の定義は、自由な個人たちが自由に協働し、常に現状を疑い、より良い状況に帰る道を共に探していくことだ。どのような規模であれ、その構成員たちのために機能しなくなった組織を、下側から自由に人々が問い、自由に取り壊して、作り替えることができるマインドセットが「アナーキー」なのである。>
「なるほど〜」
ではあるし、
「いや、こじつけっぽくね?」
って感じもしなくもなくw。
でも貧困や格差に強い問題意識を持ってる人が反体制的なスタンスになるのは理解できますし、その中でどうやって格差・貧困に取り組んでいくべきなのかと言う問題意識を持っている人が、「エンパシー」に注目するのも当然っちゃあ、当然なのかな、と。
ただなぁ。
「アナーキー」の定義の中に「自由な個人たちが自由に協働」「自由に人々が問い、自由に取り壊し」ってな感じで「自由」を強調しているように、ここで求められるのは「自由」を勝ち取った「自立した個人」なんですよね。
そう言う人が求められるのは確かだし、そう言う人を教育の中から育てていくのも重要。
でも誰しもが「自立した個人」になれるわけでもないし、もっといえば「自立した個人」に価値を置くことは、そのこと自体が「格差」の土壌にすらなりかねない。
サンデルの「実力も運のうち」の問題提議はここにも向けられています。
「個人」としてこう言う人間を目指すか…ってのは、まあいいんですよ。
ただそれをどう言うふうに社会に「実装」させるのか。
「こう言う人間が増えてくれば」「そのために教育を変えて」
…とか言うのもいいんだけど、それって「思想」「哲学」の世界であって、社会改革につながるかどうかは…。
ぶっちゃけ、この本だって、100万部のベストセラーなんかになるわけないですからね。(なったらごめんなさい)
「それは政治の話」
ってのは作者が一番分かってること。
だからこそ、
「じゃあ、どうするのがいいと思う?」
ってのを聞いてみたかった…ってのが読み終えての感想です。
「ピケじゃ〜!」「ストじゃ〜!」
ってこたないでしょ?
(なんか言いそうな気もするけどw)
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