・たんぽぽ先生のおうち看取り 在宅医が伝える、よりよく生きるためのメッセージ
著者:永井康徳
出版:幻冬舎
在宅診療所を20年前に立ち上げた中高の同級生の著作。
「20周年記念」と言うことで、過去の振り返りのエピソード集のような軽めのエッセイを想像してたんですが。
…すみません。
使命感とかなりの気合の入った「提言の書」でした。(永井くん、ゴメン)
在宅医療の重要性。
これについては誰もが異は唱えないだろうし、超高齢化社会・多死社会においては医療体制・財政上も、極めて重要。
翻って、個人に問えば、ほとんどの人は、
「年取ったら、最後まで食事をして、枯れるように、楽に死にたい」
と言うでしょう。
僕もそう。
にもかかわらず、世界的に見ても「8割が病院に臨終を迎える」と言う日本の終末医療の現状はなぜ変わらないのか?
まあ、色々ありますが、やっぱり「死生観」「医術観」が大きいんでしょうね。
本人がそう思っても、
・家族
・親戚・知人
・医療関係者
がなかなか後押ししてくれない。
「人生会議」で「家族」は本人の希望を確認・共有できるでしょうが、親戚や知人までは巻き込めない。
でも、この「外野」の意見てのは厄介ですからねぇ。
いわゆる「世間の空気」です。
(そこには彼らの「今までの判断」が影響しています。このバイアスを解消するのは難しいです)
そう言う意味では、やはり「医療関係者」の意見が変わってくることが重要でしょう。
一般的には「お医者さんが言うことだから…」って言うのは大きいです。
そのお医者さんが提示する選択肢の中に「在宅看取り」が含まれるだけで、本人・家族の意見は変わってくるし、「お医者さんがそう言う方法もある」と言うことで「世間の空気」に対抗することもできます。
本書は、もちろん一般の人に訴えるものもあるのですが(随分と感銘を受けました)、医療関係者への訴えかけの側面が強く感じられます。
それは作者の意図でもあるんだろうな、と。
社会全体の「死生観」が変化すると言うのは、簡単なことではありません。
現下の「新型コロナウイルス」でその可能性もあるかとも思いましたが、これはこれで厄介なウイルスで、「歳を取ったら死ぬのは当たり前」と言う流れには、どうもなりそうもありません(欧米の高齢者施設で起きた惨憺たる悲劇を考えると、そう言うべきでもないでしょう)。
ただ「どんなに苦しくても、一分一秒でも長生きしたい」と言う「死生観」が今の日本に根付いているとも、僕は思えないんですよね。
そこにはやっぱり<医療サイド>のスタンスが大きいんじゃないかなぁ…と。
(ここら辺、個人によってグラデーションがかなりあるので、断言できるようなことでもありませんがね)
僕自身、自分や母親・親戚の「去り際」を考える歳になってきました。
そう言うタイミングで、「こういう道があるんだ」と言うのを知ることができたのは物凄くありがたいことだと感じています。
何やらミソがついちゃった感のある「人生会議」ですが(炎上は「ポスターに対して」だったんですが、妙な感じになっちゃっいました)、やっぱり重要なことです。
コロナで簡単に会えなくなってるだけに、改めてそう感じます。
…って言いながら、いざやろうと思うと、「じゃあ、どう切り出すか」ってのは、ちょっと躊躇するところはあるんですがね。
まあでも、永井くんの言葉を後押しに、やってみようとは思います。
永井くん、うまくできなかったら、アドバイス、期待していますw。