鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「アフターコロナ」の指針として:読書録「シン・ニホン」

・シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成

著者:安宅和人

出版:NewsPicks出版

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「イシューからはじめよ」の作者による「日本の未来像」への提言書。

僕は2週間くらい前からボチボチ読んでたんですが、その間に「新型コロナウイルス」で日本も世界も大騒ぎになってしまいました。

 


作者自身の主張は、極めて幅広い知識と経験に裏打ちされたもので、その実務的な裏打ちのある博覧強記ぶりには圧倒されますが、主張そのものはデータ戦略について一定の知識がある人にとっては目新しいものではないと思います。

…というか、<Society5.0>を含め、日本で言われている「データ戦略」には何らかの形でこの御仁が絡んでるってのが正確なところかなw。

 


ただ「新型コロナウイルス騒動」が進展していく中、

日本政府・各自治体、世界各国の政府、各メディア等々、あらゆる面での情報のやり取りがあり、その中から戦略・施策が打ち出され、さらに分析が加えられて、それを受けて戦略・施策が修正されていく…

というダイナミックさを見ていると、作者が主張するような日本の改革の方向性は、「アフターコロナ」においては強く推進していかなければならないだろうと思わざるを得ませんでした。

 


日本の現在の新型コロナ対策は結構うまくやってると思います。

ただそれは従来から充実していた医療資源、それを支える人的資源の質の高さ、公共衛生に対する国民レベルの意識の高さ等に支えられたものであって、政府や自治体の戦略・施策運営能力が「極めて高い」という感じでもないと感じています。(それが露呈したのがダイヤモンド・プリンセスであり、現時点でも散発的に発生している医療機関での感染拡大でしょう)

情報のダイナミックさを、現場レベルの柔軟な施策展開・運営に繋ぎ切れていない…というのが正直なところだと思います。

(今まで培ってきた医療資源の質量の高さと政府・自治体の対策運営能力。これがウイルス感染の広がりに耐えうるか…というのが、結局は新型コロナ対策の肝なのではないか、と)

 


原文を読めてないので誤りがあるのかもしれませんが、「サピエンス全史」のユバル・ノア・ハラリはこう言ってるそうです。

 


<今回のクライシスでは、2つの重要なトピックにおいてどちらに進むのか、転機を迎えている。

1つ目は全体主義の監視社会と市民のエンパワーメント。

2つ目は国家主義的な独立とグローバル化の連帯である。>

 


この「1つ目」において全体主義的な手法で成果を上げているのが「中国」です。

 


<コロナウイルスとの戦いにおいていくつかの国はすでに無数のセンサーをはじめ国民を監視するツールを既に配置している。スマートフォンの位置情報の取得や顔認証などがこれにあたる。>

 


ハラリはこれに警告を発し、こう言っています。

 


<短絡的に考えると、上記の例では人々はプライバシーと健康を天秤にかけている。しかし、本質的にはプライバシーも健康も両方選ばれるべきなのだ。監視社会を促進することによってではなく、市民をエンパワーメントすることによって我々はコロナウイルスに勝つべきなのだ。>

 


その事例も出てきているとハラリは言います。

でも現状のパンデミックの広がりを見ると、それを素直には受け入れがたい。

そういう動きは確かにある。

でも決定的な力にはなり得ていない…というのが現状じゃないでしょうか?(悲観的すぎる>)

 


本書が示すのは、まさに

「市民をエンパワーメントするために、社会をどう変えていくべきか?」

だと思います。

AI×データを武器として、社会のリソースの配分の仕方に手を入れつつ、未来を支えうる人材を育成していく。

この「AI×データを駆使することで市民(個人)がエンパワーメントされる」ことこそが<アフターコロナ>の時代に不可欠なのではないか、と。

 


ただし懸念点も。

 


<しかし、そのような協調体制を築くためには、信頼が必要だ。科学に対する信頼、。公的権力に対する信頼、、メディアに対する信頼だ。このような信頼は失われている。>

 


ハラリは希望を付け加えます。

 


<しかし危機的状況において監視社会を促進するのではなく信頼を再構築することは可能だ。>

 


そうあって欲しいと、強く願います。

 


*ハラリのツイートは渡辺創太さんの訳を引用し、一部整備しています。