亀田誠治さんのインタビュー記事。
<亀田誠治が誰よりも本気で「音楽教育」に注力するこれだけの理由(柴 那典)>
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64644?page=4
<亀田誠治が全経験をつぎ込み「無料音楽祭」を開催する背景と本心(柴 那典)>
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64854
むちゃくちゃ面白かったです。
まだまだ「現場」張ってはるんやなぁ、と。
日比谷音楽祭、行ってみたかったですねぇ。
さて、前編の方でコメントされてる「コライト」という作曲方法。
不勉強ながら僕は全く知らなかったんですが、割りを前から知られてる製作方法のようですね。
<【作曲】コライトって何?メリット・デメリットは?>
https://sakky.tokyo/2018/05/31/post-2414/
映画の脚本なんかでいうと、ピクシーなんかは結構こんな感じで複数のメンバーで脚本を練り上げてるってのは前から知ってましたし、最近のマーベルなんかのハリウッド大作もそんな感じが強くなってる印象があります。(ハリウッドのシナリオについては前々からそういう側面がありますが、それがもっとシステマチックに洗練されてる印象)
音楽の方もそう言う風スタイルが広がってるってことでしょうか?
デジタルは本当にそう言うことがしやすくなってますからねぇ。
僕が今遊んでるProcreateなんかも、いじってると、「デジタル」がどれだけ、「借りて来る」ことのハードルを下げてるかってのを痛感します。
(自分で撮ってきた写真に、トレーシングしつつ、アレンジを加えた絵を重ねる。
トータルで10分くらいの作業でした)
もちろん、そこには著作権の問題とか、色々あるわけですがね…。
一方、「作家性」ってのをどう考えるのかってのもあります。
複数の人間が関与することで、「トンがった」ところがなくなって、レベルは高いけど、似たようなものが量産されるようになる…
ある意味正しい。
でもデジタルの力を借りて、トライ&エラーを素早く出来るようになってる中で「レベル」は相当に高いものになってるし、アーティストの「方向付け」の中で<平均値>に陥るリスクも回避できる…
…となると、
「何があかんの?」
って気にもなりますな。
<受け手>専門の立場ならなおさらにw。
だからまあ、「ライブ」の重要性が問われるようになるんですかね。
映像で言えば、動画ストリーミング。興行面でのリスクが低い分、「トンがった」作品はストリーミングを主戦場として行くんじゃないかなぁ…と。
(「小説」だって、「小説家になろう」なんかでの読者からのFBシステムは、かつての作家/編集者の共同作業を、もっと広範囲でシステマチックにしてる印象があります。
その上に今の「ラノベ」がある、と)
「個人」が圧倒的才能で「世界」を変えるドラマってのは、僕も大好きだし、そういうのを見たいと、今も熱望しています。
…でも、「彼ら」が戦わなきゃいけないモノも結構大変なトコまで来ちゃってますよ…って話。
いや、それでも「土壌」が豊かになっていけば、それはそれでいいのかもしれませんが。