鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

(覚え)政治評論も変わっていかないと…

田原総一朗さんと橋下徹さんの対談記事。

いやぁ、これは面白かったです。

<橋下徹「難しいで逃げちゃダメなんです」 田原総一朗に意見>

https://dot.asahi.com/wa/2019013000030.html


個人的には「どちらが正しい」ってのはないんですけど、田原さんのスタイルが、ある意味時代に合致しなくなってきていることが浮き彫りになった対談じゃないか、と。


ポイントはこんなところでしょうか?


①与党に対してであれ、野党に対してであれ、「問題点を指摘する」だけでは課題解決ができなくなっている。

②政治家に直接言う(公の場だけではなく、クローズドな場でも)というスタイルは、効果的なケースもあるが、「政治評論」としては成立しない。

(その点を主張されても、評価しようがない)

③「国民」に対する信頼感があまりにも低い。


対して橋下さんが言ってることが「正しい」とも思いませんが。

「③」については橋下さんは「国民はバカじゃない」っておっしゃって、一見民主主義的ですが、裏を返せば「多数決で決まったことは<善>」、そこから多数意見誘導の手練手管を是認するような流れもありえますから。

(橋下さんがそうだとは言いません。ただちょっと橋本治の言う<心のない論理>っぽいとこが橋下さんの言説には感じられるんですよね~)

ただ(是非は別として)「日本会議」が草の根的な活動の中から一定の政治的な影響力を持ったことなんかを考えると、田原さんのスタンスはあまりにも「上から目線」過ぎるんじゃないかなぁ…と。(換言すれば「怠けすぎ」)


まあ、ここら辺、「時代」の影響もあります。

田原さんの活躍されてきた時代は、情報格差は今以上にあって、メディアの影響力が無茶苦茶圧倒的だった。

そういう時代には田原さんのスタンスじゃないと対応しきれなかったというのはあるんじゃないですかね。

ただインターネットやデジタル機器の進展で情報格差がなくなってきて、むしろ情報が氾濫する中で、「如何に合意形成をしていくか」と言う点に、田原さんも既存メディアも対応しきれていないんだと思うんですよ。


もちろんまだ「答え」が見つかってるわけじゃなく、世界的にも「試行錯誤」がなされていると言うのが「今」なんでしょう。

その中で「何が変わってきてるのか」を考えるのに、今回の対談記事は参考になるな~ということです。