鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

これは小説なのか、エッセイなのか…:読書録「水 本の小説」

・水 本の小説

著者:北村薫

出版:新潮社

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北村薫さんはものすごく好きな小説家なんですけど、あまり電子書籍はお好きじゃないようで、作品のほとんどがリアル本だけでの出版になっています。
なかなか本の整理が大変になってきて、できる限り本は持たないようにとここ数年はしているので、なんとなく北村薫さんの作品は買わなくなってしまっていました。
まぁ、ミステリーについては家族も読むので、引き続き買ってるんですけどね。
ミステリー以外の小説とかエッセイとかが対象外になってた感じです。

土曜日の新聞を見ていたら、広告欄にこの本の続編(?)になる「不思議な時計」の広告が載っていました。
副題が「本の小説」。
小説?
ちょっと気になって前作にある本書を購入しました。
泉鏡花賞を取ってるんですね。
全然知りませんでした。

内容としては最近北村薫さんの小説に多い日本の近代小説をめぐるあれやこれやの話をまとめた内容
「え?これって小説なの?エッセイなんじゃ…」
ここら辺、本書にも収められている徳田秋声に関する話題のところでの「私小説」に関する話につながるかな?
煎じ詰めれば、そんなジャンル分けにさほど意味がないともいえます。

なんだかんだ言ってこういう話好きなんですよね。
1日で読み上げてしまって、続編も購入してしまいました。

以前読んだ本では、
高校生以上の日本人で本を読むのは2人に1人。月に1冊か2冊で1日を読書時間は30分…というのが日本人の平均像だと言う記述がありました。
統計的にどこら辺まで正しいのか分かりませんが、感覚的には「まぁ、そうかもしれない」。
この比率はずいぶんと昔から変わらないらしいので、昔から「本を読む」と言う人種はマイノリティーだったんでしょうね。
僕もまぁ、そのマイノリティーの1人ではあるんでしょうけど、そのマイノリティーから見ても本書に出てくる北村薫さんや、その周りの人たちの本に関する知識や記憶力は驚くべきものがあります
そこのところが面白いっちゃ面白いんですけど、本を読まない人にとっては「なんかエリートくさいなぁ」って感じがしなくもないかも。
そんな人が読むわけねーかw。

僕個人で言えば、こういうのにほのかな憧れを感じたりはしますが、とてもじゃないが、そんな大量の本を抱えることはできません。
こういうのを読ませてもらって、ニヤニヤ笑うっていうのが、ちょうどいいのかもしれません。

…というわけで、続編も読ませていただきます。
しばらく積ん読になっちゃうかもしれませんけどw。

文章でコンテンポラリーバレエを描く挑戦:読書録「spring」

・spring
著者:恩田陸
出版:筑摩書房

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「蜜蜂と遠雷」でピアノ演奏の高みを文章で描いた作者が、バレエ、しかもコンテンポラリーを中心に描いた意欲作品。
クラシックならまだしも、コンテンポラリーの創作バレエを文章でどう表現すれば…ってところを力技で押し切ってる一作ですw。
日曜日の午後、一人(と一匹)で留守番する時間があって、午後いっぱいで読み上げてしまいました。
面白かったです。


構成としては4パートに分かれていて、それぞれのパートを違う人物が語る構成。
最初の「跳ねる」で、主人公(萬春)の同期がバレエダンサー・振付師としての天才性・特異性を語り、
次の「芽吹く」で主人公の伯父が主人公の幼少期からバレエ留学するまでを振り返ります。
「湧き出す」では主人公と協力して創作バレエを作る幼馴染の音楽家の視点から主人公の創作の過程が説明されて、
最後の「春になる」で主人公自身が自分を語る。
…という流れ。


この手の作品だったら、主人公が成り上がっていく過程を順番に追いかけたり、コンクールを取り上げて、そこに主人公の天才性を集約させたり…って仕立てにしそうなものですが(後者は「蜜蜂と遠雷」でやってますw)、時間軸を緩くしながら、「語り」によって主人公や彼が目指すバレエの<カタチ>を浮き立たせる流れになっています。
一気に読んじゃったんだから、その仕掛けにまんまと僕は乗っちゃったわけですがw。

 

個人的な趣味を言えば、四章の語りが主人公自身になってるのは、最初ちょっと違和感もありました。
なんていうのかな〜、少し「生(なま)」な感じがしてw。
こういうのをアカラサマにするのはどうかな〜、個人的には<天才>はもっと隔絶した存在に描いてくれた方がハマりやすいんだけど〜
…まあ、作者がこっちに舵を切ったのも分かるんですけどね。
結局は僕も入り込んじゃったし。


さてさて、本作も映像化されるかしらん?
創作バレエを文章で読む側に迫るインパクトで描いてくれてますが、これを「映像」にするのは、それはまた別の話だろうしな〜。
むしろそこら辺は「漫画」の方が向いているかも。(バレエと漫画は相性いいし)
今、「蜜蜂と遠雷」は皇まことさんが漫画化してるけど(個人的には「傑作」と思ってます)、あっちの連載が終了したら続いてこちらも…とは行かないかな?
映画とかドラマには、う〜ん、ちょっとうまくいくような気がしない。


…って、別に漫画化とか映像化とかしなくていいんですけどねw。
ただそういうトコを刺激する<勁さ>みたいなものは確かにあるな〜って感想です。
かつて「アラベスク」や「SWAN」を楽しんだ方なら一読をおすすめいたします。

組織として活用できるようになるかどうか、かな?:読書録「頭がいい人のChatGPT & Copilotの使い方」

頭がいい人のChatGPT & Copilotの使い方
著者:橋本大也
出版:かんき出版(Kindle版)

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生成AI(ChatGPT)については、少し前に読んだ「面倒なことはchatGPTにやらせよう」で概要は理解できたつもりだったので、
GPT5あたりが出るか、Appleが実装するまでは特に踏み込まなくていいかな
…と思ってたんですが、先日飲んで帰る途中で、勢いでAmazonをポチッとしてしまいまし…。
いやぁ、酔っ払いはあかんわぁ。


まあ、でも興味深く読めました。
「頭がいい人」かどうかはともかく、「どういうことができるか」の実例がいろいろ出てて、その成果物も動画なんかで確認できるようになってて、なかなか楽しい。
基本的な仕組みとか使い方にポイントなんかは「面倒なことはchatGPTにやらせよう」の方が踏み込んでるように思いますが、実例は僕はこっちの方が面白かったですね。


CHAPTER 0 頭がいい人のChatGPT & Copilotの使い方
CHAPTER 1 ChatGPT & Copilotの基礎知識
CHAPTER 2 思考を補助してもらう
CHAPTER 3 企画書を作ってもらう
CHPATER 4 プレゼンに活かす
CHAPTER 5 データ分析を手伝ってもらう
CHAPTER 6 可視化を手伝ってもらう
CHAPTER 7 プログラミング開発
CHAPTER 8 さまざまなGPTs
CHAPTER 9 カスタムAIのGPT Builder
CHAPTER10 さまざまな生成AI


具体的にはCHAPTER 5〜8。
9・10あたりはも少し踏み込んで…なんですけど、「それは別の話」ですかねw。


生成AIが実用化されるかどうか(「バブル」かどうか)
…ってのは、GPT3.5以降、延々と議論になっているところ。
個人的には
「入り込んでる資金量が妥当かどうかはわからないけど、<全くの役立たず>ということはなさそう。
ただそれがそこまでビジネスや社会の実相を変化させるのか、まではよく分からない」
くらいのイメージです。
具体的には<個人>として使う分には役に立つし、すごく興味深いツールだというのは実感します。
それは「仕事」でもそうで、個人レベルで活用して生産性を上げていく面はあり得るだろうと考えています。


一方で「組織」や「社会」でどこまで活用できるかについては、やっぱり「ハルシネーション」のことが気になる。
組織的に使うとなったら、その使う側にハルシネーションを見破るだけのリテラシーが必要になりますが、使う人が拡大すればするほど、リテラシーが足りない人も含まれることになっちゃいますからね。
(自分が精通している分野ではハルシネーションを見破れても、それ以外ではリテラシーが低くなっちゃうってこともあるし)
もちろん精度はどんどん高くなってるけど、今のところは100%信用するまでには至っていない。
言い換えれば「専門分野では活用できるけど、汎用性にはまだハードルがある」ってとこかな?
ここら辺がどういう風に評価されるのか、そこまで汎用性に近づけることができるのか…ってのが「バブル」判断のポイントでしょうかねぇ。
(スマホや、Alexaなんかの音声認識サービスにいつ頃本格的に組み込まれるのか…ってのが入り口かな?)


最近、生成AIの画像や動画関係のサービスのことで、著作権がらみで色々話題になっているようです。
個人的には「漫画」や「映画」を淘汰するにはまだまだと思っていますが(むしろ補助的ツールとして活用できるくらい)、「イラスト」や「広告動画」あたりは厳しいかもしれません。
そこらあたりが業界の「裾野」になってたのが今の騒動の根本なんでしょうけどね。
僕個人は
「まあ、でも止めて止まるもんではないから、どう活用するか、その流れの中で自分のポジションをどう確保するかを考えるしかないんじゃないかな」
と思ってるんですけど、それはまあ、僕自身がもう「60近いジジイ」だからかもしれんw。
直面してる人々にとっては「面白そう」じゃすまんのでしょうね、確かに。


いずれにしても
「思ってるよりもできることは多くなってるよ」
ってのが実態で、そのことは本書でも確認できます。
その先がどうなるのか?
でもまあ、それもまた「自分たちの選択」ではあるんでしょうけどね。

 

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結構前の作品なのね:読書録「星のダンスを見においで」

・星のダンスを見においで 地球戦闘編
・星のダンスを見においで 宇宙海賊編
著者:笹本祐一 ナレーター:下山吉光、いけながあいみ
出版:創元SF文庫(audible 版)

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「ARIEL」で有名な笹本祐一さんのスペースオペラ。
…って、僕は「ARIEL」しか読んでないんですけど(しかも1、2巻くらい)。
ちょっと硬めの本が続いたので、頭空っぽにしたくて、目についたコレをDLしました。
まあ、その目的は果たせたかなw。


伝説の宇宙海賊「笑う大海賊」が秘宝とともに姿を消し、彼の部下であった宇宙海賊ジャックも失踪して18年。
ジャックは辺境の星・地球の横須賀にいた。
彼と秘宝を追ってきた宇宙海賊たちの闘いに巻き込まれた高校生・唯佳。
地球上での追跡戦は、宇宙での逃亡戦になり、なぜか唯佳はジャックの船に同乗して銀河の果てに飛び出すことになる。
宇宙連合艦隊も巻き込んだ追撃戦の果てに、果たして「笑う大海賊」の秘宝は姿を表すのか…


ってな感じの話。
笹本さんの作品は、ラノベっぽいキャラのたった登場人物たちが、ハードSF的設定で右往左往する…ってのが特徴だと思うんですが、このシリーズもそのまんま。
…というより、この作品、結構前のシリーズなんですね。
最初に発表されたのが朝日ソノラマで1992年。
30年以上前ですがなw。
(創元SF文庫で再販されたのは2015年です)
主人公の一人「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」(w)のキャラがなんかハードボイルド寄りで、ちょっと古臭くもむず痒い感じがあったんですが、これはまあ<時代>のせいかもしれませんなぁ。


長さ的にも程よいので、気楽に楽しむにはいいんじゃないでしょうか?
まあラストが性急すぎるとも言えるけど、「じゃあ、どうだったらいいんよ」と言われると、口込まざるを得ない。
キャラとSG設定で宇宙船の戦闘シーンを楽しむ
…という作品だと思えば、これはこれでいいんじゃないでしょうかね。
まあ、1巻でズブ素でお荷物だった唯佳が、あっという間に2巻で宇宙船の操縦に習熟して、荒くれ野郎どもの支持を得るまでになる…ってのはご都合主義にも程はあります。
が、そこを突っ込むような話でもないしw。


お好きな人はどうぞ。
…ってとこかな。
僕は悪くないと思いますけどね。

功罪半ばする…けど、日本じゃ嫌われすぎてる気もするかな:読書録「テクノ・リバタリアン」

・テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想
著者:橘玲
出版:文春新書(Kindle版)

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世界を変える<唯一の>思想
…なのかどうかは分かりませんが、「世界を変える」ことに強い意志を持った考え方だとは思います。
ま、見方を変えるとそれ以外の思想が「保守的」「既存権益確保的」になってる…ってことかもしれませんがw。(日本のリベラルとかねぇ)


<リバタリアンは「自由原理主義者」のことで、道徳的・政治的価値のなかで自由を最も重要だと考える。そのなかできわめて高い論理・数学的知能を持つのがテクノ・リバタリアン>

 

この「高い論理的・数学的知能」を持つ者は「TEN」とも言われているようです。

 

<数学者のデイヴィッド・サンプターは、「成功、幸福、富などを与えてくれる 10の数式(ベイズの定理もこのなかに含まれる)」を知る者たちを「 TEN」と呼び、その暗号を解き秘密の数式を自在に操ることで世界を支配しているという。

 

その集団、いうなれば秘密結社は、実は何世紀も前から存在する。その秘密結社のメンバーたちは、代々自分たちの知識を後世に伝えてきた。そんな彼らは行政、金融、学界、そして最近ではテクノロジー企業の世界で実権を握り、一般人に紛れて過ごしつつも、私たちにこっそりと力強い助言を送り、時には私たちを陰で操ってさえいる。一般の人々が心から手に入れたいと望む秘密を見つけ出し、裕福で、満ち足りた、自信満々な人生を送っている。  

 

TENはデータを数学的にモデル化し、パターンを見つけてシグナル(必要な情報)とノイズ(不要なゴミ)を見分ける特殊な能力をもっている。だがこれは、世界の真実を知っているということではない。重要なのは、平均よりも精度の高い(現実をうまく説明する)モデルをもっていることだ。>


本書では「テクノ・リバタリアン」の第一世代であるイーロン・マスク、ピーター・ティール、第二世代のサム・アルトマン、ヴィタリック・ブテリン(イーサリム考案者)等を取り上げて、彼らが何者で、何を考え、何をしようとしているのか、その先にどういう社会が実現する可能性があるのか…についてまとめられています。
ガッツリ文系で、TENとは程遠い数学的素養しかない僕には理解が追いつかないところが山ほどありましたが、まあ、漠然とは概要が見えたような…気がするってところでしょうか。
第一世代のマスクやティールに関しては色々なことが言われているし、その行動や考えなんかも結構見えているので、それほど目新しさは感じませんでしたが、第二世代の方はせいぜいcharGPTがらみでアルトマンを知ってるくらいだったので、「なるほどな〜」と新鮮な気持ちになりました。
ま、ここら辺は「on the way」のところも少なからず…ですしね。(詐欺罪で逮捕された人なんかもいるしw)


かなり話が幅広くとられているので、頭の中でまとめるのが難しいところもあるんですが、個人的に興味深かったのは、「テクノ・リバタリアン」が目指す<総統府功利主義>って考え方のあたりかな。
まあ、民衆を信じない…ってあたりは「哲人政治」に近いかもしれないんですが、その「哲人」が<人>ではなくて<テクノロジー>になるあたりが特徴的かしらん。
「民主主義」を掲げるリベラルが、それを標榜する<人>の<善意>による暴走を孕んでいることを考えると、僕は否定しきれないところがあるんですけどね、ここら辺。
(「地獄への道は善意によって敷き詰められている」…とまで言わなくても、今のキャンセルカルチャーの横暴さとか、優生学を支えていたのがリベラル思想とか、いろいろあります)


第二世代のグレン・ワイルが掲げる「共同所有自己申告税COST」とか、「平方根による投票システム」(クアドラティック投票=QV)なんかは、「テクノロジー」によって社会を変える方策に一つ。
面白いのは、その根本思想が結構最近のリベラルが主張する「コモン」の考え方に通じるところがあるように思えるところがあるところで、正直「コモン」思想が、
「話はわかるんだけど、どうやってそれを実現するの?」
ってところで足踏みしちゃうのに比べると、この考え方は実際的で実務的。
もちろん「政治的にどうよ」ってのはあるんだけど、「教育が〜」とか言っちゃって思考停止するよりは遥かにマシだと、僕なんかは思っちゃうんですよね。
まあ、そう思うところに既にある種の傾斜があるのかもしれないけど。


実務やビジネスの世界において「テクノ・リバタリアン」「TEN」が大きな成果を出してるのは否定できないでしょう。
(一方で個人としての彼らが<幸せか>というと、それはそれで悩ましいところはありそうですが)
そこから一歩踏み込んで「社会変革」まで行けるかどうか。
トランプ支持を表明してたピーター・ティールも今年の大統領選では一歩引いてるようです。
Z世代の支持なんかも含めて、ここら辺がどうなっていくのか…ってのは興味深いとk露尾なんじゃないかと思います。

日本じゃ政治資金のことでゴタゴタしてるあたり、ため息しか出ないんですけど。

知らずに口を出したくないと思ったけど、ちょっと知っただけでも頭が痛くなる…:読書録「イスラエル 人類史上最もやっかいな問題」

・イスラエル 人類史上最もやっかいな問題
著者:ダニエル・スカッチ 訳:鬼澤忍
出版:NHK出版(Kindle版)

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昨年10月にはじまったハマスとイスラエルの戦闘には未だに出口が見えません。
ハマスからの侵攻(音楽祭襲撃等)に端を発した戦いは、イスラエルのガザ侵攻に切り替わり、現在イスラエルによる民間人被害が先進諸国では虐殺として非難されるようになっています。


確かに民間人被害は目を覆うほどだが、そもそもはハマスの民間人襲撃が発端であり、いやそれはイスラエルによる入植地拡大にそもそもの原因が、だが和平への動きを阻害しているのは双方のテロが、欧米のユダヤ人迫害がイスラエル建国の…


とまあ、どこに重点を置いて論じればいいのか、なんともこの問題は難しいところがあります。
しかし「知らない」ことに生半可な知識で口を出すのもどうかと思うので、自分自身の頭の整理として読んでみよう…とチョイスしたのが本作。
アメリカ在住のイスラエル人が書いた作品(21年)ですが、複数の人が「中立的」とお勧めしてタノで、読んでみました。
…読んでみたら、なおさら頭抱えたくなってますけどw。


イスラエル・パレスチナ問題の基本的なところは、本書で紹介されている11歳の少年の<解説>がほぼほぼ本質を語っています。

<「オッケー。ちょっと整理させて。つまり、こういうことかな。僕は生まれたときから、自分の土地にある自分の家で暮らしてきた。両親も、おじいさんおばあさんも、ひいおじいさんおばあさんも、ひいひいおじいさんおばあさんもみんなここで暮らし、僕と同じように土地を耕してきた。いつも誰かに家賃を払っていたけど、ずっとここで暮らしていた。ある日、畑に出て、夕方家に帰ってみると、この人(ここで彼は隣に座っていた子を指さした)とその家族が僕の家の半分で暮らしている。僕が『おい、僕の家で何をしてるんだい?』と言うと、彼は『僕たちはここから遠く離れた町を追い出されたんだ。近所の人は殺され、僕たちの家も焼かれた。ほかに行くところはないし、受け入れてくれるところもない。だからここに来たんだ。ひいおじいさんおばあさんの、ひいおじいさんおばあさんの、そのまたひいおじいさんおばあさんが、はるか昔に暮らしていた場所にね』──というわけで、どちらも正しいが、どちらもほかに行くところがない。こんな感じでいい?」>


どちらも正しいが、どちらもほかに行くところがない。


「正しさ」がない以上、落としどころを探さなくちゃいけない。
結局のところ、「オスロ合意」に至ったラビン(イスラエル)とアラファト(PLO)がたどり着いたのはそこだったんでしょうね。
そこから自分の有利になるようにどう言う交渉をしていくか…という局面に、「自分たちは絶対的に正しいんだ」と言う宗教的狂信を持った人々が乱入し/あるいは踊らされ、それが「ラビンの暗殺」につながり、オスロ合意の破綻を呼び、テロの応酬に至っている。
…そんな感じ?
「オスロ合意」以降の流れは、ほんと頭を抱えたくなります。


イスラエル問題はもちろんその地域における限定的な課題なんですが、一歩引いてみると、この「合意」が「正義」によって破綻される過程には決して「他人事」と思えないところがあります。
日本にだってそこそこに伺える話。
それもまあ、頭抱えたく…


「イスラエル問題を考える上において基礎知識を得るために読んだ方がいい」
ってのは、確かにその通りです。
イスラエル内部も一枚岩じゃないことがわかりますし、イスラエルとアメリカのイスラエル人たちとの関係、アメリカのイスラエル支持層の分断…なんてあたりは全然知らないことでしたし。
まあ、パレスチナサイドの視点(PLOからファタハ/ハマスへの流れとか)も知りたいなとは思わなくもないけど、そっちは多分、もっと頭抱える話なんだろ〜な〜、とも。
ただその「基礎知識」を得るために、そこそこ分量のある本を一冊読まなきゃいけないってこと自体、ハードルでもあるかと。


結局のところ、僕としては「イスラエル/パレスチナ」の二国主義をベースにしながら、その<合意>の成立を支持しつつ、個別に発生する事案には個別に判断するしかない…ってところかな。
ハマスの人質作戦は是認しない
イスラエルの民間人攻撃も非難する
双方の因果関係を評価の基準としては採用しない。
…くらいのスタンス。
当事者たちにとっては「緩い」なんでしょうけど、個別の事象に「正しさ」は持ち込めても、どちらかに「正しさ」を認めることは、やっぱりできない。


どちらも正しいが、どちらもほかに行くところがない。


本当に「やっかいな問題」です。

「ああ、終わったんだな」と改めて:読書録「もう明日が待っている」

・もう明日が待っている
著者:鈴木おさむ
出版:文藝春秋

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SMAP×SMAPの放送作家だった鈴木おさむさんが、身近で伴走指摘たものとして「SMAP」について書いた<小説>。
鈴木さんはテレビ界からの「引退」を表明されていますが、「暴露」的なものはあまりないにしても、やっぱり「だからこそ」書ける…ってのはありますかね。
(「暴露」として一番インパクトがあるのは、既に発表されていたあの「謝罪会見」の経緯を書いたところでしょう)


第1章 素敵な夢をかなえておくれ:モリクン脱退
第2章 あれからぼくたちは:紅白からカウントダウン番組へ
第3章 世界で二番目にスキだと話そう:タクヤの結婚・会見
第4章 1・2・3・4 FIVE RESPECT:タクヤの結婚・東京ドームコンサート
第5章 WELCOME ようこそ日本へ:マイケル・ジャクソンがスマスマに出演
第6章 とってもとっても僕のBEST FRIEND:「5人旅」裏話
第7章 くじけずにがんばりましょう:東日本大震災
第8章 20160118:あの謝罪会見
第9章 もう明日が待っている:スマスマ最終回。それから

 

SMAPは1988年デビュー。
僕が社会人になった年ですね。
そして解散が2016年12月31日。
なんだろう。
「アイドル」を身近に感じる歳じゃなかったはずなのに、本書に書かれてることは全部「知っている」感じがあった。
それが「SMAP」が切り開いたものなんだなと言うことを改めて実感しました。
そして、それが「終わった」のだと言うことも。


正直言って、僕は「SMAP」は再結成しなくていいと思っています。
鈴木さんも指摘されているけど、彼らがああやって「終わらせた」ことで、また何かが変わって来ている。
それもまた彼らの役割だったのだと。
過去の延長線上じゃなく、その先の「明日」に新しいことをやっていけばいいんじゃないか、と。
もちろん、<明日>、彼らがまた笑顔で集うことがあれば、それはそれで喜ばしいことではあるけれど。
(僕はダウンタウンの松本人志さんについても、ちょっと似たようなことを思っています)


しかしまあ、イイジマサン。
むっちゃ「オトコマエ」やん!
痺れるわ〜。
50年後のNHK朝ドラの主人公は彼女ですw。