・女に生まれてモヤってる? 本当は「自分らしく」いたいだけなのに
著者:ジェーン・スー、中野信子
出版:小学館
この二人の対談はスーさんの前作(「私がオバさんになったよ」)でもありましたが、更に突っ込んでってことでしょうか。
プライベートでも親交があるようですしね。
僕自身は「ジェーン・スー」ファンとして本作を読んでるんですが、読者ターゲットとしては「対象外」かもしれませんw。
ちなみに同じく「ジェーン・スー」ファンでもある妻の本書の感想は、
「すごくよく分かる。でもスカッとしない」
って感じでした。
多分それはジェーン・スー作品(特に初期)が、女性が読んで、
「そうそう、あるある、そういうこと!」
って<共感>を強く呼ぶものだったのに対して、本書の場合、
「<共感>だけを重視してると、それが同調圧力にもなる。自分のとって<何が重要か>を明確化して、それぞれの局面において戦略的に<共闘>していくことが必要」
という風に(共感を否定はしないけど)<共感>の先を語り合ってるからでしょうね。
所謂、「多様性」。
ただそうなると「あるある!」って<共感>でスッキリ…とは行かなくなっちゃうんですよね。
「スカッとしない」
ってのはそういうこと。
「女性の生き難さ」
ってのが歴史的・社会的な<仕組み><成り立ち>に寄ってるってのは、僕も共通認識として持っています。
それを「社会のバグ」ってとらえるのはすごく重要。
その是正を求めていくことは必要だし、(東大での「上野講演」にも見られるように)少しずつその方向に動いていることは確かじゃないかと思います。
(そうじゃないと社会が成り立ち難くなってるって要因もあるにせよ)
ただマクロとしてのそういう動き(社会的正義の実現…とでも申しますか)の一方で、「自分がその中でどうやって<自尊心>を持った生き方をしていくか」っていうのは、また別の側面もあるんですよね。
まだ「社会正義は実現していない」んだから。
その中でミクロの戦略としてどう振る舞っていくのか。
本書で語られてるのは、どっちかっていうとそちらの比重が大きいかも。
そしてそれは「そんなスッキリと整理できることじゃない」。
それぞれ、「どう生きたいか」は違いますからね、そもそも。
しかもそれで「上手くいく」かどうかは誰も保証してくれない。結果、自己責任…みたいな話になりかねないリスクも…。
(マクロで考えて、「有性生殖とかいらなくなるかも」とか「新たな地質年代が始まってるかも」って想像するのは面白いけど。
でも僕がそんな時代を目にすることはないからw)
ある意味、本書で語られてることは「男性にも言えること」。
ただ「そもそも置かれている環境や、与えられている土壌が違う」と言うことは踏まえておく必要がある…と自戒しております。
でも、
「自分が選んだ選択を<正解>にする」
そういう生き方をしたいとは強く思いますよ。
しかしまあ、もうちょい気楽なスーさんの「バカ話」を読みたいって希望もありますがねw。